サンタクロースの式神さん。
wasanbonさんからいただきました♪
いつもありがとうございます。
今年は【日暈旅路】にまぜていただいて、たのしく限定メニューを考えさせていただいたり、さまざまなお店のみなさまとご縁をいただいたり。
大変お世話になりました。ありがとうございました♪
聖なるものを意識する本日、久しぶりの本を開きましたらこう書いてありました。(宗教とは関係ありませぬ♪角川文庫からでている「新しき流れの中へ」という本より。)
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「何千年もの間、善と悪の問題は、私たち人間の心を占領してきました。
『第十の予言』では、唯一の力、唯一のエネルギーの場、ありてあるもの、つまり神の力だけしか存在しない、という立場をとっています。相対する力も、悪魔も、悪を具現した力も、存在しないということです。
神は人間を創造し、人間が無限の創造力を使って自分自身を知るために、人間に自由意志を与えました。
私たちのどの面も、神の顔に他なりません。私たちの神性を進化させるためには、神から離れずに自由意志を公使することが必要です。
愛、思いやり、喜び、奉仕、創造など、神の資質に同調しているとき、私たちの選択は良いことを作り出します。
この世界に存在する悪は、恐怖によって作り出されます。
人間は初めから罪ある存在だと信じたり、霊性を意味のない麻酔薬にすぎないと非難する時、私たちは悪に力を与えてしまうのです。
悪魔は、悪を簡単に説明するためにずっと利用されてきました。
悪を理解するためには、人間の複雑な心理をもっと研究することが必要です。」
「愛と調和の世界を作りたいと願うのであれば、自分に反対する人々は悪だ、という根深い考え方を手放す必要があります。いつも人々にレッテルを貼りつけるような決めつけ方はやめなければなりません。相手をよく知ろうともせずに、早く話を終わらせようとしたり、目には目を、という報復をしたいと思う時、私たちは相手を決めつけています。
保守派、自由主義者、ニューエイジャーなどと相手にレッテルを貼りつけることをやめ、行動の背後にあるその人の魂を見ればいいのです。
さらに、エネルギーは思考に従う、ということがわかると、他人に対して有害な考えを持つことさえ望まなくなります。世界を変えようとしなくても、相手を非難しないと決心することによって、自然と世界を変えてゆきます。もう一方の頬もさし出せ、という言葉は、「もう一度私を打て」という古典的な意味から、「問題の別の面を見よ」という意味へと変わってゆくかもしれません。相手を自動的に疑ったり、自分とは違って見える人を自動的に避けたりする時、私たちは常に、ほんの少しだけ、神を見失っているのです。
人はみな、この世界を創造する過程にかかわっています。ですから私たち一人ひとりの思いはすべて反映してゆくのです。
悪魔とはまさに、恐怖によってつき動かされている、神とのつながりを断たれた人間のエゴに他なりません。
もし、地獄が私たちの意識の産物であるならば、脅迫的で否定的な自分の思いを、今、捨て始めればいいのです。」
「新聞で悲劇的な出来事や、否定的な出来事を読んだとき、心にその苦しみを吸い込んでから、心が平和なエネルギーで洗われ、平和なエネルギーがあふれてくるのを感じる練習をしましょう。
平和のエネルギーを吐き出し、苦しんでいる人々に光を送ります。」
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最後にイメージを使った【神と共に歩む練習】を。
「神様、キリスト、おしゃか様などと一緒に歩いているつもりになります。
そして、彼らがどんな場面に出会っても、やさしく応じる様子を想像しましょう。大変な状況になりそうな時は、「自分のそばにいて下さい」と彼らに頼みましょう。」(p.238より)
テレビでよくお見かけする戦場カメラマンの方は、イエスさまのようでもありブッタさまのようでもあり。
余談ですが、本日、「聖☆おにいさん」の新刊が発売ですね。
☆☆☆みなさま、たのしく和やかな善き聖なる夜を☆☆☆