マスターのお父様は、戦前からこの上杉で育ったそうです。
仙台大空襲について、以前少しだけ教えていただいたことがありましたが、
今回もう少し詳しく知りたいと思い、教えていただきました。
以下、その内容です。
いま上杉に生活基盤がある方、会社が上杉にある方、
ちびっこたちに感じていただきたくご紹介いたします。
たった69年前に仙台であったお話です。
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僕は小1。
父は残り長兄は松島基地支援。その他で逃げた。
すでに仙台駅あたりは壊滅的、
二高、いまの農学部前の防空壕のなかは
駅のほうから逃げてきた人々の焦げ臭いのが気持ち悪かった。
敵機のいない間に台の原あたりを逃げた。
何人か焼死体を見た。
八乙女あたりて敵機も来なくなり、
上杉に朝もどったら家はすっかり焼失してた。
プリキ缶に入れてた米がほどよく?焼けててそれで腹ごしらえしてから
大和町まで歩いて疎開した。
僕だけ3カ月間分校に通った。
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以上、今回教えていただきましたお話です。
短いお話の中に、淡々とした表現の中に、深い悲しみとやるせなさを感じます。
戦争ってなんなんでしょう。
さまざま考えさせられました。
同じことを繰り返さないよう、頭と言葉をつかって平和に物事が進みますよう、祈ります。
被害にあわれた方々の魂の安寧を心よりお祈りいたします。
貴重なお話を教えて下さいましたマスターのお父様、ありがとうございました。またいろいろ教えて下さい。
仙台大空襲について記述されていらっしゃるサイトを見つけました。
偶然、勝山公園のお話もありました。
当時の様子がリアルに感じられます。
【仙台の夜空に降り注ぐ光、仙台大空襲。昭和20年7月9日から10日】http://members.jcom.home.ne.jp/m.masupage/mukashi/sendai-daikusyu.html
私の実父は、「あの戦争は日本が悪かったんだ。」といつも言います。
そのたびに私は、ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム、という「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」の成果が
一番身近な愛する家族の心にいまだに存在することに
悲しさと悔しさを感じます。
本日もご覧いただきましてありがとうございます。
穏やかに和やかに
すてきな週末をお過ごしください。
