「早春のバスの中で」吉野 弘
まもなく母になりそうな若いひとが
膝の上で
白い小さな毛糸の靴下を編んでいる
まるで
彼女自身の繭の一部でも作っているように
彼女にまだ残っている
少し甘やかな「娘」を
思い切りよく
きっぱりと
繭の内部に封じこめなければ
急いで自分を「母」へと完成させることが
できない
とでもいうように 無心に。
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いまの時代ほど
女性が遊んだり楽しんだりしてもよいという風潮の社会はなかったのではないだろうか。
それは嬉しいことである反面、
母という仕事をいただいたときに
悩ませるもののような気がする。
きっぱりと、「母になる」を選択する覚悟は
同年代の娘さんたちが遊んでいたり、友人がたのしそうに謳歌しているのをSNSなどで見かけたとき
ぐらりと揺らぎ、インチャが顔をだして、苦しくなったりもするだろうな。
かくいう私も、やはり華やかに遊んでいる友人と、
おむつとミルクの無限リピートのボサボサの自分を比べたりして
落ち込んだりもしたけれど。
早春のバスの中で、吉野弘さんは、
そんな複雑な女性の気持ちを汲んだ詩を書かれたのですね。
