まだ喋れないような小さな赤ちゃんが
オムツを替えてもらう時に
親が替えやすいように
腰をあげたり、足を手で持ったりする。
はじめてそれを見たとき
小さくて何もわかっていないようでも
表現する術をもたないだけで
申し訳ないな、迷惑かけてしまっているな、
そんな気持ちを持っているんだとビックリしました。
赤ちゃんも不可抗力で泣きながらも、
ごめんね、泣いちゃってごめんね、
と思いながら申し訳なく感じているのかもしれないと思いました。
原罪、ではないけれど
うまれてすぐに自立できない人間は
たくさん手間をかけてもらって成長してゆく。
小さい子どもが
親を喜ばせたくて
いろいろ頑張るところも
そうした恩に報いたかったり
言葉に出来ない気持ちをあらわそうと
一生懸命だからなのかもしれない。
心にいつもある
いつからかある
生まれてすみません、みたいな
罪悪感。
大変なお母さんを見ているから
余計染み込んでいるのかもしれない。
罪悪感とともにある
反発。
私は悪くない。
そのバランスを
子どもたちを見ていると感じます。
ホオポノポノ の4つの言葉、
ありがとう、
ごめんなさい、
許してください、
愛しています。
はじめて教えてもらったときに
許してください、
をいうのが
腹立たしく出来なかった。
何を許してもらえと言うの?と。
一年くらい経って、
許してください、を
自分の中に言うんだと理解してからは
腹が立たなくなりました。
なぜ腹が立ったのか。
すでに、許してください、と
生まれてきたことを許してくださいと
じつは感じていて、
これ以上は辛くて思えない、感じていることを表面に出すのは苦しい、
そのような心の動きから
悲しみを隠すための怒りだったように思います。
日本人は
罪悪感が強いといいます。
戦後のGHQの政策、罪悪感政策(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)のせいである、
という情報もあります。
気づかないうちに大衆は洗脳されます。
気づいた自分が自分を救う。
なんだかわからないけど罪悪感があるときに
ごめんね、申し訳ない、というより
忝い、というのはどうだろう笑
忝い。かたじけない。
自分が悪いのではないかと、罪悪感を暗く重く表明するのではなく、
相手に感謝を伝えつつ、
ちょっと芝居がかっていて面白くなる。
ありがとう、と伝えるのが
ちょっと照れくさい。
そんなときは
「かたじけないでござる。」
かたじけない、は平安時代初期からある言葉だそうです。
英語だと、Indebted。
恩義、とか恩を受けている、とか。
そんな意味?
恩義はまわる。
お互いさま。
ご恩を受けたら、また次の人に
ご縁の起きた人に回していけるように。
そのときまで時を待つのもよいですよね。