慶大の教授の方が
お子様がゲームばかりして
父親である自分の大好きな観劇に
あまり関心を示さないため、
「ゲームはクソだ!劇が最高!」と叱責したそうです。
お子様は、
「ゲームが大好きなのにー、にんてんどうにしつれいだー!(号泣)」と。
なんて解っているお子様なのでしょう。
しつれいだよね。
教授である、おそらく教養もある父親という立場の男性は、
有名なミュージカルのチケットをお子様のぶんも購入し、
「これで面白がらなかったら許さない。」とも書いていました。許さないって。笑。
よい具合に炎上したそうで
そのツイートは削除されたそうですが、
さまざまな意見があがっていました。
私は、その男性のインナーチャイルドを感じていました。
もしかしたら、お子様と同じ年齢のころに、
ご自分の親、または友人やまわりに
自分の好きなものをけなされたり、
それを好きと言ってはいけないような環境があったり、
または、
本当は好きじゃないのに、
親が喜ぶから好きなふりをし続けていたりしたのではないか。
親が面白いというものに迎合させられていた幼少期、こども時代を過ごしてきたのではないか。
(加藤諦三さんもそうだったような。「不機嫌になる心理」。)
自分が好きなものを相手が好きと思わなかったら許さない、
自分が面白いと思うものを相手も面白いと思わなかったら許さない、
そんなインナーチャイルドさん。そんな暴力。
思考回路が
幼なすぎる。
こどもの頃に親に一方的な価値観を押し付けられて育ってきたのかもしれない。
「ぼくもおやにあわせてそだってきたのだから、ぼくのこどものきみもぼくにあわせるべきだ」
友達親子、なんて不気味な言葉もある昨今。
自分の分身のように子どもを扱かったり、
自分の仇を子どもにとらせるようなことに対する違和感がないのは
精神が大人になりきれていない、インナーチャイルドがいる証拠なのかもしれない。心が自由ではないもの。
ちくま文庫のウェブサイトに
この方が連載されていたので読んでみたのですが、
自分がおかしくなってきたときに
友人や妻はそれを個性として受け止めてくれたけれど
それを諌めてくれるのは親だけだった、とあり、
自分がおかしかったのか、
親の価値観から外れていたからおかしいと自分が感じたのか、
その基準が本当は誰のものなのか、
本当はどうしたかったのか。
(金銭感覚に関しては、お金は愛の代わりだとすると、どうだったのか。)
【webちくま ラクするための経済学】http://www.webchikuma.jp/articles/-/1336
続きを読んでゆくと、大学時代に劇団に入り演劇にのめり込んだ経緯があるようで、
おそらく親からの心理的自立と演劇がつながっていて、この方のアイデンティティーとして演劇というものが
大きな大切なものなのだろうと思いました。
でも、それを子どもにも押し付けるのは子どもに依存していることになるのではないかなあ。
詳しくわからないので、想像するしかないのですが、
お子様が怒って泣ける、感情を出せるうちは、
まだ修復可能な親子関係なのかもしれない。
はやいうちに、父親に気づきのきっかけ(炎上)があって良かったですね。
お子様が将来、ミュージカルのゲームを作るかもしれないし、VRでミュージカルを体験できるシステムを作るかもしれないし、
劇をより楽しむためのプログラムを作るかもしれない。
楽しみなのではないでしょうか。
自分の子どもとはいえ、
自分の分身でも
親の仲良しオモチャでもない。
それぞれの人生をゆく尊いたましい。
親としては、道を邪魔をしないように、上手にエスコートしたり、無理なく見守り、
失敗したときは、安全地帯として給油基地として、
静かに穏やかに機能していたい。
充電が終わったら速やかに外へ!
そして、このニュースに反応した私の中のインナーチャイルドさん見っけ。
興味なくても関心を寄せて欲しかったよね。口に出して、まるごと肯定して欲しかったね。よしよし。