鉛筆削り
私がカッターでスイスイと鉛筆を削れるのは、小学一年生のときの担任の先生、柳津(やないづ)先生のおかげです。
柳津先生は他にも、土手などで食べられる植物を教えてくれました。
いまでもスカンポを見つけると口の中に酸っぱい味が思い出されるます。
毎日ガリバンで刷られた学級新聞。なかには「男女の生物としての差」のような性教育も含まれ(それらはとても神聖で尊いものであると7歳の私は感じとった記憶)。
学校というところに長く通わせていただきましたが、いまでも心から"先生"と呼びたいのは、生きることに必要な諸々を小さい私たちにもちゃんと教えてくれた柳津先生だけです。
鉛筆を削ると、あのクロブチの眼鏡と立派なお鼻を思い出すのでした。
当時30円くらいだった長方形の小さいカッター。みんなの筆箱に当たり前に入っていたけれど、誰も「危ない」なんて言わなかったなぁ。
柳津先生は他にも、土手などで食べられる植物を教えてくれました。
いまでもスカンポを見つけると口の中に酸っぱい味が思い出されるます。
毎日ガリバンで刷られた学級新聞。なかには「男女の生物としての差」のような性教育も含まれ(それらはとても神聖で尊いものであると7歳の私は感じとった記憶)。
学校というところに長く通わせていただきましたが、いまでも心から"先生"と呼びたいのは、生きることに必要な諸々を小さい私たちにもちゃんと教えてくれた柳津先生だけです。
鉛筆を削ると、あのクロブチの眼鏡と立派なお鼻を思い出すのでした。
当時30円くらいだった長方形の小さいカッター。みんなの筆箱に当たり前に入っていたけれど、誰も「危ない」なんて言わなかったなぁ。
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