カフェモンサンルー

2013/02/15

た「だ」しい人から た「の」しい人へ

以下抜粋です。
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一般的に「ひどい」とか「悲惨だ」と言われる事件が起きたとして、その報道を一億人の人がニュースで知ったとします。
そして、人々がその犯人について
「ひどい奴だ。許せない。絶対に死刑にしろ。報復をしても構わないんだ。
世界中を捜し出してその人間を殺すべきだ」
と言って、敵意と憎しみの塊になったとします。
そのときに、上空から見下ろして喜ぶのは誰でしょうか。
悪魔という存在でしょう。
悪魔は、人々が仲良しで、お互いに笑顔で、隣り合った人を助け、温かい空気の中で共に生きていく、
ということを大変嫌います。
敵意と憎しみのあるところにだけ悪魔は住むことができるからです。
それに対して、
「自分ができることは周りの人にしてあげよう」
とか
「手を貸せることについては手を貸してあげよう」、
あるいは
「できる限り自分が喜ばれる存在になろう」
という心を持っている人が増えると、悪魔は住むところがなくなって、とても困ります。
ですから、悪魔は、多くの人々に敵意や憎しみの感情が芽生えるようにいつも願っています。
一億人の人がその事件の犯人を許せないと思い、敵意や憎しみをかき立てられたとしたら、上空で微笑んでいるのは、悪魔という人でしょう。
一方、神という名の存在の方は、大変悲しい思いをしていると思います。
もし逆に、一億人の人がその事件を見聞きして、こういうふうに考えたとしたらどうでしょう。
———「私」の敵意や憎しみの延長線上に、この犯罪や出来事がある。
「私」が敵意や憎しみを持っていることは、この人たちが社会に対して敵意や憎しみを発散させたことと何の違いもない。
もしこの人たちの敵意や憎しみを発散したことについて自分が否定的に思うのならば(こういうことがあってはならない、あってほしくないと思うのであれば)、まず自分の心の中から敵意や憎しみを取り去ることだ。———
 一億人の人がこういうふうに考えたとき、その出来事が起きたことには大変意味があったと言えます。
そのとき、上空から見下ろしている悪魔という存在は、じだんだを踏んで悔しがることでしょう。
一方、多くの人が自分の中の敵意や憎しみを見つめ直すことができたならば、
「私のメッセージが理解されて嬉しい」と、"神"はニッコリ微笑むのかもしれません。
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「未来の知恵シリーズ8」
た「だ」しい人から
た「の」しい人へ
—もう一歩奥の人格論—
小林正観:著
株式会社弘園社より
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ガチガチの唯物論であるという正観さん。
長年の考察から得られた知恵を
やさしくわかりやすく伝えてくださるシリーズの本です。
何回も何回も読んで、そのたびに知恵や気づきをいただくシリーズです。
なるほどなあ、と日常に実践してみて、その難しさに悩むこともありますが、
少しずつ、自分を犠牲にするのではなく、
たのしく生きるという正観さんのお話の意味を
なんとなくではありますが感じる日々です。
遠回りのようで、結局一番近道、そんな風に思います。
アトピーの項目は、ガビビーン!のショックをもらいました。
一人では気づけても実践まで難しかったですが、ホメオパシーのレメディの助けなどを借りて、乗り越えてきています。
最近、悲しいニュースが多かったので、転載させていただきました。
ありがとうございます。
カフェモンサンルー