カフェモンサンルー

2017/12/22

勉強になったこと

先日、本屋さんの棚を眺めていたら、
ある雑誌の表紙に大々的に見覚えのある名前。

だいぶ昔の話ですが
どうしたらよいのか悩む時期があり、
いのちにも関わるので
医療も受けながらも
さまざまなアプローチを模索していて
これが良いらしいと聞けば話を聞きに行ったり本を読んだりしていた頃。

その有名な方にわざわざ高速に乗って会いに行ったのです。
柔和な観音様にも例えられるような笑顔の写真を見て、
この人ならなにかわかるかも、と。
私はその方の本を読んでいましたが
一緒に行った方は読んでいませんでした。
席について一言。
「あなた、わたしの本は読んだのかしら。」
すごく高圧的な態度でいやな気配を出していて、
「あ、間違えた!!」と思いました。
というか、そのお店に入ったときに
すでに違和感はあったのです。

まだその頃は
目に見えない世界を扱う人たちの中にも
意識の低い方もあるということが
わかっていたようで、
きちんとわかっていなかったんですね。

しょんぼりしながら
高速をまた帰りました。

連れて行った方に悪いことをしたと反省しました。
とても勉強になりました。

それまでも、そのような能力がある方でも性格が‥‥ということもありましたし、
本を出したり、有名だからと言って、
人としての在り方が素晴らしいかというと
それはまた違う話だということを身をもって腑に落としてきました。
すべてパーフェクトな人間なんていないですものね。
(逆もまた然り。わざわざ言わなくてもそのような能力を日常の生活に普通に活かしている方もいらっしゃるし 、すごい人格者もいらっしゃる。日常を丁寧に生きることのすごさ。)

これもまた、自分の鏡であり、学びであり、
だまされないようにしたり、
すべてを預けたりしないようにしたり、
自分の感覚を信じる練習だったりしたのだろうと
今ならわかります。

本屋さんで
久しぶりにその方の名前を見て
いまならその笑顔の写真から滲むものを
感じることができて
よかったな、と思いました。

その方から、なにか一言あり、
助かる方もいらっしゃるかもしれませんが。
その一言は
すべてがその人から出たのではなく
相談された方を守る方が言わせているのかもしれないし、(だとすれば人の道としてどのように伝えるべきかわかるはず。)
軸はどこかを見極められるように
その人を崇拝したり、陶酔したりしないように、
いま自分に響いた言葉のみ、そのとき意味をもつのだろうと思います。

すごい、と言われる人にすがりたくなる気持ち。
大変なときは特に。

そのとき、自分の中に小さな違和感があったら、
その違和感を無視しないように。
気をつけて。
カフェモンサンルー