「き・く・あ」の思想
たまたま、津波で大きな被害を受けたはずのW町の子供たちが参加されていたある試合を見る機会がありました。
相手は県の中でも強豪の学校。
W町の子供たちは、そのプレッシャーにも負けずに晴れ舞台にしっかり立っていました。
試合が始まりました。
驚きました。
強豪と言われる相手校の観客席から、メガホンをつかった大音量の応援が始まったのです。
W町の選手がゴールをを決めなければいけない繊細な時間にも。
その音にすっかり萎縮してしまったW町の子供たち。エネルギーがみるみるシュンとしてゆくのを感じました。
まだ子供ですし、この緊張する環境では大人でも辛いはず。
私は、ゴルフなどでショットを打つときにでてくる「お静かに」のプラカードを出したい衝動にかられました。
小林正観さんが提唱されている「き・く・あ」の思想というものがあります。
以下抜粋↓
【「悪魔さんの陰謀」のところでも述べましたが、人間の心の中には妬み、そねみ、嫉妬、やきもち、という心が潜んでいます。これはどこからきているかというと、大もとは「き(競う心)、く(比べる心)、あ(争う心)」からはじまっています。
「自分はあんなやつに負けたくない」、「あいつの下にはなりたくない」という考え方です。自分が上にいる時はいいのですが、相手が上にいくと、相手を憎んだり、恨んだり、引っ張って引きずり下ろそうと考えたりします。
これが妬み、そねみ、嫉妬、やきもちの心です。結局は競う心、比べる心、争う心というものからはじまっています。
こういう心がなければ、人生はどんなに楽かしれません。しかし明治以降、西洋的な教育思想が入ってきて、小、中、高校の学校教育は、基本的に競うこと、比べること、争うことを教え込む教育体系になりました。
その結果、競うこと、比べること、争うこと、クラスの中でどのくらいの順番にいるか、同じ学年の中でどのくらいの順番にいるかということを、常に競わされるように教え込まれたのです。全体の中でどれくらい優れているとか、劣っているとかいう相対的な評価を、ずっと教え込まれてきました。多くの人が、この教育的価値を教え込まれているために、競うこと、比べること、争うことが当たり前なんだと思い込まされています。ですから常に人と比べて、自分が上にあるのか、下にあるのかという考え方をしてしまいます。
(中略)
競わない、比べない、争わないということが自分の身についたら、人生はとても楽なものになります。そして楽しいものになります。
それは豊かな暮らし、豊かな生活ということでもあります。
競うこと、比べること、争うことを教え込まれてきたので、抜け出すのはたしかに難しいことと思います。ですが、このことに気がついたところから、人間は解放されます。自由な心、自由な魂になることができます。
誰かと比べる必要はありません。私は私。私の持っている良いところで、社会に参加する。別の人は、その人の良いところで社会に参加をする。
それぞれのいろんな力が寄せ集まって、社会は成り立っています。
競い合ったり、比べ合ったり、競争する必要はありません。
互いの力を認めあって、お互いに支えあうという生き方はどうでしょうか。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
『豊かな心で 豊かな暮らし』小林正観 廣済堂出版
自らに戒めもこめて。
大会要項にはメガホン禁止って書いてありました。大人の事情もあるのかもしれません。大人が「やれ」と言ったのかもしれません。
何にせよ、後味が悪く具合が悪くなる出来事でした。
本日もご覧いただきましてありがとうございます。
皆々様に心からの感謝をこめまして。
和やかに穏やかに、そして愉快に、
よい日曜日をお過ごしください♪
相手は県の中でも強豪の学校。
W町の子供たちは、そのプレッシャーにも負けずに晴れ舞台にしっかり立っていました。
試合が始まりました。
驚きました。
強豪と言われる相手校の観客席から、メガホンをつかった大音量の応援が始まったのです。
W町の選手がゴールをを決めなければいけない繊細な時間にも。
その音にすっかり萎縮してしまったW町の子供たち。エネルギーがみるみるシュンとしてゆくのを感じました。
まだ子供ですし、この緊張する環境では大人でも辛いはず。
私は、ゴルフなどでショットを打つときにでてくる「お静かに」のプラカードを出したい衝動にかられました。
小林正観さんが提唱されている「き・く・あ」の思想というものがあります。
以下抜粋↓
【「悪魔さんの陰謀」のところでも述べましたが、人間の心の中には妬み、そねみ、嫉妬、やきもち、という心が潜んでいます。これはどこからきているかというと、大もとは「き(競う心)、く(比べる心)、あ(争う心)」からはじまっています。
「自分はあんなやつに負けたくない」、「あいつの下にはなりたくない」という考え方です。自分が上にいる時はいいのですが、相手が上にいくと、相手を憎んだり、恨んだり、引っ張って引きずり下ろそうと考えたりします。
これが妬み、そねみ、嫉妬、やきもちの心です。結局は競う心、比べる心、争う心というものからはじまっています。
こういう心がなければ、人生はどんなに楽かしれません。しかし明治以降、西洋的な教育思想が入ってきて、小、中、高校の学校教育は、基本的に競うこと、比べること、争うことを教え込む教育体系になりました。
その結果、競うこと、比べること、争うこと、クラスの中でどのくらいの順番にいるか、同じ学年の中でどのくらいの順番にいるかということを、常に競わされるように教え込まれたのです。全体の中でどれくらい優れているとか、劣っているとかいう相対的な評価を、ずっと教え込まれてきました。多くの人が、この教育的価値を教え込まれているために、競うこと、比べること、争うことが当たり前なんだと思い込まされています。ですから常に人と比べて、自分が上にあるのか、下にあるのかという考え方をしてしまいます。
(中略)
競わない、比べない、争わないということが自分の身についたら、人生はとても楽なものになります。そして楽しいものになります。
それは豊かな暮らし、豊かな生活ということでもあります。
競うこと、比べること、争うことを教え込まれてきたので、抜け出すのはたしかに難しいことと思います。ですが、このことに気がついたところから、人間は解放されます。自由な心、自由な魂になることができます。
誰かと比べる必要はありません。私は私。私の持っている良いところで、社会に参加する。別の人は、その人の良いところで社会に参加をする。
それぞれのいろんな力が寄せ集まって、社会は成り立っています。
競い合ったり、比べ合ったり、競争する必要はありません。
互いの力を認めあって、お互いに支えあうという生き方はどうでしょうか。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
『豊かな心で 豊かな暮らし』小林正観 廣済堂出版
自らに戒めもこめて。
大会要項にはメガホン禁止って書いてありました。大人の事情もあるのかもしれません。大人が「やれ」と言ったのかもしれません。
何にせよ、後味が悪く具合が悪くなる出来事でした。
本日もご覧いただきましてありがとうございます。
皆々様に心からの感謝をこめまして。
和やかに穏やかに、そして愉快に、
よい日曜日をお過ごしください♪
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