ご先祖さまは
そろそろ彼岸へ着いたでしょうか。
人はいつかあちらへ旅立つのはわかっていても、やはりこちらにのこされた私たちは
なかなか現実を飲み込めなかったり、
この悲しみにどのように向き合ったらよいのか茫然としてしまいます。
はじめての別れならなおのこと、
親しい人ならさらに、
そしてものごころついたあとの子供たち、思春期の少年少女たちも。
あちらの世界についてや悲しみと向き合うための、いろいろ本が出ていますが、
うんくさく感じたりするものや、語る人の偏りを感じたり、主観的すぎて共感できなかったり、と、
こちらの心に響くものと出会うのはなかなか難しいものがありました。
そんな中で、絵本がすばらしくよかったのでご紹介したいと思います。
説教くさくなく、ほどよい距離で心に寄り添ってくれます。
もし気になる方がいらっしゃいましたらオススメいたします。
【おじいちゃんがおばけになったわけ】
キム・フォップス・オーカソン 文/ エヴァ・エリクソン 絵
菱木晃子 訳
あすなろ書房
【天の町 やなぎ通り】
あまんきみこ・作
黒井 健・絵
あかね書房
【くまとやまねこ】
湯本香樹実・文
酒井駒子・絵
【悲しい本】
マイケル・ローゼン/作
クエンティン・ブレイク/絵
谷川俊太郎/訳
【悲しい本】のカバーに谷川俊太郎さんのメッセージがありましたのでこちらもご紹介します。
【悲しみという感情を知らない人はいないだろう。人はさまざまな悲しみを経験する。すぐ忘れてしまえるような小さな悲しみ、その人の一生を決定するような深い悲しみ、理由がある悲しみ、苦い悲しみ、甘い悲しみ‥‥悲しみが人を死に追いやることがある、悲しみが人をより生き生きと生かすこともある。
だがどんな悲しみにもましてつらいのは、愛する者を失った悲しみだろう。作者のマイケル・ローゼンは最愛の息子を失ったひとりの男(ローゼン自身かもしれない)の、どうにもならない悲しみを、悲しみに溺れない詩人の目でみつめる。そしてそういうひとりの男の姿を、クエンティンブレイクは共感とともにユーモラスに描きだす。
ローゼンが言うように、悲しみは「私の悲しみ」であり「ほかの誰か」が必要になってくる。その、ほかの誰かは悲しむ私に共感してくれる誰か、悲しむ私を愛してくれる誰かであるとともに、新しく誕生する生命そのものだ。ロウソクの光は、悲しみの闇にひそむ明日へとむかう道を照らしだす。
谷川俊太郎】
少年よ、お父さんに会いたくなったら自分の体を見よう。
お父さんの命が、脈々と自分の体に受け継がれているよ。
自分の心に問いかけよう。曇りない心持ちのときは、お父さんの答えが聞こえてくるはず。
私も母に会いたくなったら、自分の手のひらをみるよ。母から受け継いだ指の形、手のひらの厚み。
心を鎮めて母に問いかけるよ。母の声が聞こえる。(答えは忘れたころにやってくるときもある)
いつかあちらに渡って再会のとき、おもしろい話をたくさん聞かせるために、生きる。生かしてもらう。自分を活かして。
ウロウロしたり、迷ったり、それもおもしろい土産話になるでしょう。