カフェモンサンルー

2014/06/30

ジョアンジルベルトとホメオパシー

写真もとても美しく、いつも拝読させていただくpimboke6さんのブログ(http://homeopa.exblog.jp/)に紹介されてあったお話。
とても興味深いので、私も書き留めておきます。
pimboke6さん、いつもありがとうございます。
全文は長いので途中から。
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【ホメオパシーの情報理論。/小倉ヒラクさん】
中略
「情報における強度は、物質とは反比例する」
ここで、物質性における強度とは正反対の発想が生まれてきます。
物質においては、マスが増大すればするほど作用が強くなっていく。(銀杏をいちどに千個食べると死ぬ、なんて言うし)
だから、「食いしん坊」とか「大酒のみ」みたいな状態が、物質的な意味での「強度がある」状態になるわけです。
 対して、情報においては「どんな小さなつぶやきでも聴き取れる」みたいなことが「強度がある」状態になっていく。
誰もいない聖堂に残響していた交響楽を聴き取り、宗教的な悟りを愉悦を得る、みたいな人が「感度がいい」ことになり、
その幻の交響楽は、どんなレベルの高いオーケストラが演奏するものより印象が鮮やかで「快楽度」が高い。
(中略)
それは、ボサノヴァの神様であるジョアンジルベルトが、
理想の音楽を追求するうちにどんどん「声が小さくなっていった」事実に似ている。(最後はほとんどただの呟きに達してしまった)
隣の部屋に人を立たせて、「どう?いまの声聴こえた?」みたいなことを延々繰り返して、
「かろうじて聴こえる最小音」を追い求める。
それは「幻の交響楽」を現実に再現しようとするように「感じられないはずのものを、感じようとする」というトレーニングであると言えます。
 ホメオパシーの極意は、そうやって「ジョアンジルベルトの歌が聴こえる」みたいな感度を、
身体のなかで再生していくプロセスなのですよ。
その中で「物質性に対しての情報性」の意味が浮上し、「強度」の定義が反転していく。
症状を消すのではなく、むしろどんな小さな症状であっても「オッケー、聴こえたよ」というところまで感度を訓練し、常に火消しべらんめえ、ブランデー犬ウロウロ、みたいな状態まで持っていく。
そうすると、常時きめ細かく「消火活動」や「救助活動」が行われることになるので、破局的な事態を未然に防げることになる。
その結果、破局的な事態を未然に防げることになる。
その結果、長年苦しんでいた習慣病や重大な症状に対しての抵抗力がついていく。
 そのとき、人は病を「克服」するのではなく、うまく「肯定」できるようになる、ということなんでしょうね。
うむむ、奥が深いぜ。ホメオパシー。
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以上、こちらからの抜粋転載でした。ありがとうございます。→https://note.mu/o_hiraku/n/nf005e56e6bb1

ジョアンジルベルトといえば、あの独特のリズムや歌い方をお風呂場に籠りきりで開発したというエピソードを思い出します。
小倉ヒラクさんは、私と同じようにホメオパシーユーザー。
私はプラクティカルのホメオパスさんにお世話になっていますが、この方はドイツ人のクラシカルのホメオパスさんにかかっていらっしゃるようですね。
例え話に、ジョアンジルベルトの歌声を持ってきてくださるところが、ツボにはいり感銘をうけました。

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