対象喪失の乗りこえ方
【対象喪失の乗りこえ方〜別れ、失恋、挫折の悲しみを引きずらないために/加藤諦三】
「失恋も、近親者の死も、結婚の失敗も、
故郷からの別れも、事業の失敗も、希望の喪失も、役割の喪失も、
人は様々なものを失う。
これらは対象喪失といわれるものである。
人は対象喪失の悲哀の過程を完遂することで成長する。
何かを失った体験は悲しいが、
それはその人の成長への過程として必要な体験である。
それがあるからこそ
「ああ、生まれてきて良かった」と思える最後がある。」
帯より
「生きていく以上、誰にでも逆境は避けられない。
誰にでも逆境の時はある。
その逆境をじっと耐えられるかどうかである。
逆境はすぐには終わらない。心も体も消耗する。
冬が終わり、三寒四温で春がくるように、
いつかやがて心身ともに回復するという心の姿勢が大切である。
いつか時を経て傷ついた心が、
自分のパーソナリティーのなかに組み込まれて、豊かな自分に成長する。そう信じて焦らない。
それができれば人生を最後まで無事に生き抜ける。
対象喪失の悲哀の過程を完遂すること。
その一つひとつの完遂が、最高の自分への道である。
その対象喪失の連続のなかで人は成長する。
失ったことは成長への過程の体験である。
個々の対象喪失は最高の自分へ到達するための通過点である。
」(P.20)
「一つひとつに『けり』をつけて、それを心のなかに取り入れて消化して、
心豊かになっていく。強くなっていく。
乗り越えたことが、次の躓(つまず)きを乗り越える心の支えになる。」(P.50)
被災地で、頼んでもいないのにご遺族の自宅にやってきて『心のケア』をしようとする方がいるのだそうです。
偽善と欺瞞。
本当の『心のケア』とは。
話を聞いてもらいたい方もいらっしゃるでしょうし
しばらく静かにしていたい方もいらっしゃるでしょう。
性格や個性がそれぞれあるように
「悲しみの乗り越え方」も人それぞれ。
薬を飲んでしまえば、乗り越えることは難しくなるのではないだろうか。
感情を麻痺させたり、コントロールする薬だから、
自分の本当の芯からやってくるちいさな回復へ向けた兆しを
キャッチできなくなってしまうのではないだろうか。
美しい朝日や、愛らしい鳥の声、
風にのって部屋に入り込む草花の微細な香り、土のにおい。
色が失われた世界に、再び色が少しずつ戻ってくるときが来る。
「喪の仕事(作業)」という言葉があるのを、母を亡くしたときに教えてもらいました。
「喪の仕事」は、大切な悲しみのプロセスなのだそう。
こうした気持ちは、正常な感情のプロセスであり、
その感情の発露は押し止めてはいけないのだそう。
悲しみ、たくさん泣いて、心と体を労りながら、回復を待つ。
知人で、やはり悲しみから心療内科に行き、薬をもらっていた方がいらっしゃいました。
会うと、おしゃべりが止まらない。
私は、彼女の心の中にある、まあるい空間の中に閉じ込められたスーパーボールを見る。
ずっと跳ね、バウンドしつづけるスーパーボール。
悲しみのスーパーボール。
本当だったら、バウンドがだんだん小さくなり、スーパーボールが静かになるはずなのに(おそらく体と心に備わった自然治癒力によって)。
おしゃべりに、攻撃性が強く現れ始めたとき、
私がもっていたイグネシアというレメディを差し上げてみた。
「夜、寝る前に飲んだら、
毎朝起きると悲しくて仕方なかったのに、
なんだかいい調子なの。」
と後日お話してくださった。
イグネシアをとると、悲しみを悲しみとして受け止め、味わい、見つめ、手放す作業が
スムーズにできるような気がします。複雑化しないで済むのではないだろうか。個人的体験談ですが。
(慢性症状の方は有料ですがプロの健康相談をおすすめします。検索→「jphma認定ホメオパス センター」)
加藤諦三さんの本は、辛口と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
読むタイミングも大切かもしれません。
若い頃に不可解な行動をする友人がいて、私の心が疲弊する時期があり、その頃に加藤諦三さんの本を読んで救われた経緯があります。
メモでした。
「失恋も、近親者の死も、結婚の失敗も、
故郷からの別れも、事業の失敗も、希望の喪失も、役割の喪失も、
人は様々なものを失う。
これらは対象喪失といわれるものである。
人は対象喪失の悲哀の過程を完遂することで成長する。
何かを失った体験は悲しいが、
それはその人の成長への過程として必要な体験である。
それがあるからこそ
「ああ、生まれてきて良かった」と思える最後がある。」
帯より
「生きていく以上、誰にでも逆境は避けられない。
誰にでも逆境の時はある。
その逆境をじっと耐えられるかどうかである。
逆境はすぐには終わらない。心も体も消耗する。
冬が終わり、三寒四温で春がくるように、
いつかやがて心身ともに回復するという心の姿勢が大切である。
いつか時を経て傷ついた心が、
自分のパーソナリティーのなかに組み込まれて、豊かな自分に成長する。そう信じて焦らない。
それができれば人生を最後まで無事に生き抜ける。
対象喪失の悲哀の過程を完遂すること。
その一つひとつの完遂が、最高の自分への道である。
その対象喪失の連続のなかで人は成長する。
失ったことは成長への過程の体験である。
個々の対象喪失は最高の自分へ到達するための通過点である。
」(P.20)
「一つひとつに『けり』をつけて、それを心のなかに取り入れて消化して、
心豊かになっていく。強くなっていく。
乗り越えたことが、次の躓(つまず)きを乗り越える心の支えになる。」(P.50)
被災地で、頼んでもいないのにご遺族の自宅にやってきて『心のケア』をしようとする方がいるのだそうです。
偽善と欺瞞。
本当の『心のケア』とは。
話を聞いてもらいたい方もいらっしゃるでしょうし
しばらく静かにしていたい方もいらっしゃるでしょう。
性格や個性がそれぞれあるように
「悲しみの乗り越え方」も人それぞれ。
薬を飲んでしまえば、乗り越えることは難しくなるのではないだろうか。
感情を麻痺させたり、コントロールする薬だから、
自分の本当の芯からやってくるちいさな回復へ向けた兆しを
キャッチできなくなってしまうのではないだろうか。
美しい朝日や、愛らしい鳥の声、
風にのって部屋に入り込む草花の微細な香り、土のにおい。
色が失われた世界に、再び色が少しずつ戻ってくるときが来る。
「喪の仕事(作業)」という言葉があるのを、母を亡くしたときに教えてもらいました。
「喪の仕事」は、大切な悲しみのプロセスなのだそう。
こうした気持ちは、正常な感情のプロセスであり、
その感情の発露は押し止めてはいけないのだそう。
悲しみ、たくさん泣いて、心と体を労りながら、回復を待つ。
知人で、やはり悲しみから心療内科に行き、薬をもらっていた方がいらっしゃいました。
会うと、おしゃべりが止まらない。
私は、彼女の心の中にある、まあるい空間の中に閉じ込められたスーパーボールを見る。
ずっと跳ね、バウンドしつづけるスーパーボール。
悲しみのスーパーボール。
本当だったら、バウンドがだんだん小さくなり、スーパーボールが静かになるはずなのに(おそらく体と心に備わった自然治癒力によって)。
おしゃべりに、攻撃性が強く現れ始めたとき、
私がもっていたイグネシアというレメディを差し上げてみた。
「夜、寝る前に飲んだら、
毎朝起きると悲しくて仕方なかったのに、
なんだかいい調子なの。」
と後日お話してくださった。
イグネシアをとると、悲しみを悲しみとして受け止め、味わい、見つめ、手放す作業が
スムーズにできるような気がします。複雑化しないで済むのではないだろうか。個人的体験談ですが。
(慢性症状の方は有料ですがプロの健康相談をおすすめします。検索→「jphma認定ホメオパス センター」)
加藤諦三さんの本は、辛口と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
読むタイミングも大切かもしれません。
若い頃に不可解な行動をする友人がいて、私の心が疲弊する時期があり、その頃に加藤諦三さんの本を読んで救われた経緯があります。
メモでした。
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