ある体験談
学生や大学生のみなさん、ご一読を!
「学校に行きたくない」が「病気」になるおかしさ、不可思議さ。
違和感を感じられますか。
内海聡先生のFBより
https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/821502774600144
【ある体験談】
2012年4月、特待生で大学に入学したものの、
父のDV(家庭内暴力)の影響で人が怖く、大学の雰囲気にも馴染めなかった為、
大学の学生相談所へ行きました。
そこでは臨床心理士による相談が行われていました。
「大学に馴染めなくて行きたくない。最近、大学に行こうとすると胸が苦しいです。」と告げると、
「それは病気だ。僕は精神科や心療内科にも勤めているから分かる。
多分パニック障害とかかもしれない。
精神科か心療内科にすぐに行ってください。」と言われました。
私は、「そうなの?知らなかった。」と素直に信じて心療内科に行き、早速薬が処方されました。
抗うつ剤や抗不安薬でしたが、飲み始めるとすぐに食欲もなくなり、
今まではなかった自殺願望が激しく出始めました。
後になれば、当時私が出された薬の医薬品添付文書にすら、
【自殺念慮、自殺企図のリスクが増加する】等の記述があり、
薬が原因で死にたくなったことは火を見るよりも明らかですが、
臨床心理士に自殺を何度も試みたことや死にたいと告げると、
「病気が悪化している。今行っている心療内科では薬が少ない。心療内科は出せる薬も限られているから精神科に行ってください。」と言われ、
紹介された精神科に転院をしました。
また、このころにはもう体も動かなくなっていたので、
大学も休学を余儀なくされました。
まだ心療内科に行きだして1ヶ月ほどの、5月のことです。
休学後から、毎週母と車での通院と、臨床心理士への電話相談の生活が始まりました。
転院後すぐ入院を勧められましたが断り、
SCTやINVという筆記による検査を受けました。
統合失調症との診断でした。
また、その医師は、私が何か言うと「○○のお薬出しましょうね。」と言って、どんどん薬を増やしていく医師でした。
転院前は3種類だったのが、7〜8種類、
1日に飲む量も3錠から10錠に増えましたが、
「こんなに薬を一杯飲むの?」と思って臨床心理士に相談しても、
「あなたはむしろ少ないくらいだ。」と言われて驚きました。
これらの薬を飲むと、体が鉛のように重い(寝たきり)、
頭はぼーっとして何も考えられない、
よだれが垂れる、
全身が常に貧乏ゆすりみたいに痙攣し、文字一つ書けない等々が現れました。
精神科医や臨床心理士は、
「良くなった」
と言っていましたが、私としては死にたい気持ちも変わらず、
「生ける屍」のようで実感はありませんでした。
薬についてよく覚えているのは、
ジプレキサという薬を出されたときです。
当時の私はメディアなどによって
「細い=良い」と洗脳されていたため、余計辛い思いをしました。
ジプレキサを飲むと、食欲が全く止まらなくなりました。
私は涙を流しながら、
「誰か私を止めてー!」と叫び、
ずっと食べて食べて食べて食べ続けました。
心は食べたくないのに体が勝手に食べるように動いてしまうのです。
今振り返っても、向精神薬の恐ろしさを感じずにはいられません。
結局3週間で10キログラムも増え、
今まで着ていた服も着られなくなりました。
このまま悪化の一途をたどり、一年ほど経った2013年7月24日、
私は薬を大量に飲み、自殺を図りました。
今までの自殺未遂と違うのは、意識を失ったことです。
仕事から帰宅した母が倒れている私を発見し、
急いで救命救急病院に連れていってくれたそうです。
私は何とか一命をとりとめました。
母はこの一件があり、精神科医や臨床心理士への疑念が噴出しました。
元々、臨床心理士に病院を勧められたときも、母は、
「大学が嫌なら休めば良い。何で病院?」
と不思議に思い、臨床心理士の所に自ら行ったものの、
「お母さんは分からないだけです。僕は専門家なので分かります。」
と押しきられ、疑問だらけだったようです。
そして、翌日7月25日、
母が内海聡先生の事を知りました。
すぐに予約をとり、私は寝たきりで体が動かない状態だったので、
母が高速道路を飛ばしてクリニックまで行き受診をしました。
断薬治療に関して、薬を手放す事自体は私にとってさほど難しくなく、
むしろ内海先生の本を読んでから自分の向精神薬をゴキブリを見るような目で見ていたので
「こんなの、もう触りたくもないわ!」と即捨てました。(ゴキブリに失礼ですが……)
問題は止めた後です。
いわゆる禁断症状です。
私の場合、基本的には問題を問題と思わない事を心がけました。
例えば「食欲ゼロ」、これは別に食べたくないなら食べないで良いと思いました。
「不眠で一睡も出来ない」、これも寝たくないなら寝ないで良いや、という具合です。
ただ、禁断症状はそんなに甘くありません。
どうしても辛くて問題と思ってしまう時もあるのです。
そのとき私は、とにかく意識を外に向けて、
自分が症状を忘れてくれるように自分を騙すことに専念しました。
これは、忙しく頭や体を使うのが良いかもしれません。
辛いけれど、敢えて行動するのです。
私の場合は、散歩や運動などでは紛れなかったため、思いきって9月に内海先生の許可を得て教習所へ毎日通いだしたのが効果大でした。
例えば「強い吐き気」、これも結構辛かったですが、教習所に行きだしてからかなり紛れ、
何とすぐに消えてしまいました。
一番堪えたのは、理由のない強い不安感や恐怖感に襲われたことでした。
昼は教習所のお陰でとても快調でしたが、
夜は家族も寝てしまっており、私一人。
教習所に出かけるわけにもいかない。
「押し潰されそうな恐怖」とはよく言いますが、
私は本当に何かとても大きいものに押し潰されるような感覚が全身を襲ったのです。
「やめて!やめて!潰さないで!助けてー!」
と夜に一人叫ぶも、容赦なくのし掛かってくる。
「これが薬の恐ろしさか……」と薬の怖さを改めて実感していました。
読書でも何をしても紛れず、どうしようもなくなって、電磁波などの害を承知の上、結局テレビを利用しました。
ひたすらジブリの映画を見ていました。
そして、いつしか免許を取得するころにはもう無くなっていました。
他にも意味なく死にたくなったり色々ありましたが、
「薬のせいだ。これさえ越えれば……。」と言い聞かせ、何とか乗り越えました。
今回学んだことは、やはり無知という事の罪深さです。
私が精神科へ行った本当の理由は、
父のDVでも、対人恐怖でも、大学の環境でも、学生相談所の臨床心理士でもなかったのです。
他でもない「自分」が、
精神科を心を癒す所だと「信頼」していたからです。
どんなに辛い事があろうとも、精神科が人を殺す所だと知っていたら誰も行かないのです。
手先と化している臨床心理士にも行かないのです。
私はこの過ちを心から悔い改め、精神医学だけでなく、
医療全体、食事、生活、社会問題など、
色々調べ、勉強するようになりました。
1年3ヶ月ほどの、薬漬け生活、断薬、禁断症状を経て、
私は生まれ変わったような気持ちでいます。
ずっと苦しかったけれど、今までの人生で今が一番幸せです。
勿論、嫌な事が無くなった訳ではありません。
それに色々調べて事実を知ると、絶望的な話題も多いです。
それでも、あの経験があるからか、感謝する事も多いのです。
毎日布団から起き上がれるってありがたい、
勉強できるってありがたい、
文字が書けるってありがたい、
自分を応援してくれる人が居るってありがたい、
そもそも生きているってありがたい……。
こういう感じなのです。
「変わらない過去や他人に支配された人生ではなく、
自分の人生を生きるんだ!」
そう思ったとき、薬を飲む以前にあった過去のトラウマや対人恐怖のネガティブな感情も影を潜めるようになりました。
同じ世界に生きているのに、捉え方でこんなに変わるんだと思います。
薬を飲んでいる人へ、私は伝えたい。
今、精神科で苦しい思いをしているのは、当たり前だよ、と。
断薬して禁断症状を乗り越えたら、こんなに素晴らしい人生が待っているんだよ、と。
…………………………………………………………………………
大切なご縁のあるみなさま、まだ出会っていない未来の友人たちにお知らせしたくご紹介しました。
断薬や減薬をされるときは、信頼できる専門家へご相談ください。
[検索→ みやぎの萩ネットワーク ] 自死予防のネットワークです。精神医療の相談も受けてくださるそうです。
AKKOさんの新作動画が公開されていました。
ご自身の体験を、やさしいイラストと音楽で伝えてくださっています。
【うつ 治らない あなたへ】https://www.youtube.com/watch?v=8II_uYQSRjA&feature=share
必要な方々へ届きますように。
子どもたちが被害に遭いませんように。
お母さん、お父さんも、知ることで守られますように。
医原(薬原)性うつ病や、医原(薬原)性精神疾患に、させられませんように!
教えていただきありがとうございます。
尊敬と感謝をこめまして。
「学校に行きたくない」が「病気」になるおかしさ、不可思議さ。
違和感を感じられますか。
内海聡先生のFBより
https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/821502774600144
【ある体験談】
2012年4月、特待生で大学に入学したものの、
父のDV(家庭内暴力)の影響で人が怖く、大学の雰囲気にも馴染めなかった為、
大学の学生相談所へ行きました。
そこでは臨床心理士による相談が行われていました。
「大学に馴染めなくて行きたくない。最近、大学に行こうとすると胸が苦しいです。」と告げると、
「それは病気だ。僕は精神科や心療内科にも勤めているから分かる。
多分パニック障害とかかもしれない。
精神科か心療内科にすぐに行ってください。」と言われました。
私は、「そうなの?知らなかった。」と素直に信じて心療内科に行き、早速薬が処方されました。
抗うつ剤や抗不安薬でしたが、飲み始めるとすぐに食欲もなくなり、
今まではなかった自殺願望が激しく出始めました。
後になれば、当時私が出された薬の医薬品添付文書にすら、
【自殺念慮、自殺企図のリスクが増加する】等の記述があり、
薬が原因で死にたくなったことは火を見るよりも明らかですが、
臨床心理士に自殺を何度も試みたことや死にたいと告げると、
「病気が悪化している。今行っている心療内科では薬が少ない。心療内科は出せる薬も限られているから精神科に行ってください。」と言われ、
紹介された精神科に転院をしました。
また、このころにはもう体も動かなくなっていたので、
大学も休学を余儀なくされました。
まだ心療内科に行きだして1ヶ月ほどの、5月のことです。
休学後から、毎週母と車での通院と、臨床心理士への電話相談の生活が始まりました。
転院後すぐ入院を勧められましたが断り、
SCTやINVという筆記による検査を受けました。
統合失調症との診断でした。
また、その医師は、私が何か言うと「○○のお薬出しましょうね。」と言って、どんどん薬を増やしていく医師でした。
転院前は3種類だったのが、7〜8種類、
1日に飲む量も3錠から10錠に増えましたが、
「こんなに薬を一杯飲むの?」と思って臨床心理士に相談しても、
「あなたはむしろ少ないくらいだ。」と言われて驚きました。
これらの薬を飲むと、体が鉛のように重い(寝たきり)、
頭はぼーっとして何も考えられない、
よだれが垂れる、
全身が常に貧乏ゆすりみたいに痙攣し、文字一つ書けない等々が現れました。
精神科医や臨床心理士は、
「良くなった」
と言っていましたが、私としては死にたい気持ちも変わらず、
「生ける屍」のようで実感はありませんでした。
薬についてよく覚えているのは、
ジプレキサという薬を出されたときです。
当時の私はメディアなどによって
「細い=良い」と洗脳されていたため、余計辛い思いをしました。
ジプレキサを飲むと、食欲が全く止まらなくなりました。
私は涙を流しながら、
「誰か私を止めてー!」と叫び、
ずっと食べて食べて食べて食べ続けました。
心は食べたくないのに体が勝手に食べるように動いてしまうのです。
今振り返っても、向精神薬の恐ろしさを感じずにはいられません。
結局3週間で10キログラムも増え、
今まで着ていた服も着られなくなりました。
このまま悪化の一途をたどり、一年ほど経った2013年7月24日、
私は薬を大量に飲み、自殺を図りました。
今までの自殺未遂と違うのは、意識を失ったことです。
仕事から帰宅した母が倒れている私を発見し、
急いで救命救急病院に連れていってくれたそうです。
私は何とか一命をとりとめました。
母はこの一件があり、精神科医や臨床心理士への疑念が噴出しました。
元々、臨床心理士に病院を勧められたときも、母は、
「大学が嫌なら休めば良い。何で病院?」
と不思議に思い、臨床心理士の所に自ら行ったものの、
「お母さんは分からないだけです。僕は専門家なので分かります。」
と押しきられ、疑問だらけだったようです。
そして、翌日7月25日、
母が内海聡先生の事を知りました。
すぐに予約をとり、私は寝たきりで体が動かない状態だったので、
母が高速道路を飛ばしてクリニックまで行き受診をしました。
断薬治療に関して、薬を手放す事自体は私にとってさほど難しくなく、
むしろ内海先生の本を読んでから自分の向精神薬をゴキブリを見るような目で見ていたので
「こんなの、もう触りたくもないわ!」と即捨てました。(ゴキブリに失礼ですが……)
問題は止めた後です。
いわゆる禁断症状です。
私の場合、基本的には問題を問題と思わない事を心がけました。
例えば「食欲ゼロ」、これは別に食べたくないなら食べないで良いと思いました。
「不眠で一睡も出来ない」、これも寝たくないなら寝ないで良いや、という具合です。
ただ、禁断症状はそんなに甘くありません。
どうしても辛くて問題と思ってしまう時もあるのです。
そのとき私は、とにかく意識を外に向けて、
自分が症状を忘れてくれるように自分を騙すことに専念しました。
これは、忙しく頭や体を使うのが良いかもしれません。
辛いけれど、敢えて行動するのです。
私の場合は、散歩や運動などでは紛れなかったため、思いきって9月に内海先生の許可を得て教習所へ毎日通いだしたのが効果大でした。
例えば「強い吐き気」、これも結構辛かったですが、教習所に行きだしてからかなり紛れ、
何とすぐに消えてしまいました。
一番堪えたのは、理由のない強い不安感や恐怖感に襲われたことでした。
昼は教習所のお陰でとても快調でしたが、
夜は家族も寝てしまっており、私一人。
教習所に出かけるわけにもいかない。
「押し潰されそうな恐怖」とはよく言いますが、
私は本当に何かとても大きいものに押し潰されるような感覚が全身を襲ったのです。
「やめて!やめて!潰さないで!助けてー!」
と夜に一人叫ぶも、容赦なくのし掛かってくる。
「これが薬の恐ろしさか……」と薬の怖さを改めて実感していました。
読書でも何をしても紛れず、どうしようもなくなって、電磁波などの害を承知の上、結局テレビを利用しました。
ひたすらジブリの映画を見ていました。
そして、いつしか免許を取得するころにはもう無くなっていました。
他にも意味なく死にたくなったり色々ありましたが、
「薬のせいだ。これさえ越えれば……。」と言い聞かせ、何とか乗り越えました。
今回学んだことは、やはり無知という事の罪深さです。
私が精神科へ行った本当の理由は、
父のDVでも、対人恐怖でも、大学の環境でも、学生相談所の臨床心理士でもなかったのです。
他でもない「自分」が、
精神科を心を癒す所だと「信頼」していたからです。
どんなに辛い事があろうとも、精神科が人を殺す所だと知っていたら誰も行かないのです。
手先と化している臨床心理士にも行かないのです。
私はこの過ちを心から悔い改め、精神医学だけでなく、
医療全体、食事、生活、社会問題など、
色々調べ、勉強するようになりました。
1年3ヶ月ほどの、薬漬け生活、断薬、禁断症状を経て、
私は生まれ変わったような気持ちでいます。
ずっと苦しかったけれど、今までの人生で今が一番幸せです。
勿論、嫌な事が無くなった訳ではありません。
それに色々調べて事実を知ると、絶望的な話題も多いです。
それでも、あの経験があるからか、感謝する事も多いのです。
毎日布団から起き上がれるってありがたい、
勉強できるってありがたい、
文字が書けるってありがたい、
自分を応援してくれる人が居るってありがたい、
そもそも生きているってありがたい……。
こういう感じなのです。
「変わらない過去や他人に支配された人生ではなく、
自分の人生を生きるんだ!」
そう思ったとき、薬を飲む以前にあった過去のトラウマや対人恐怖のネガティブな感情も影を潜めるようになりました。
同じ世界に生きているのに、捉え方でこんなに変わるんだと思います。
薬を飲んでいる人へ、私は伝えたい。
今、精神科で苦しい思いをしているのは、当たり前だよ、と。
断薬して禁断症状を乗り越えたら、こんなに素晴らしい人生が待っているんだよ、と。
…………………………………………………………………………
大切なご縁のあるみなさま、まだ出会っていない未来の友人たちにお知らせしたくご紹介しました。
断薬や減薬をされるときは、信頼できる専門家へご相談ください。
[検索→ みやぎの萩ネットワーク ] 自死予防のネットワークです。精神医療の相談も受けてくださるそうです。
AKKOさんの新作動画が公開されていました。
ご自身の体験を、やさしいイラストと音楽で伝えてくださっています。
【うつ 治らない あなたへ】https://www.youtube.com/watch?v=8II_uYQSRjA&feature=share
必要な方々へ届きますように。
子どもたちが被害に遭いませんように。
お母さん、お父さんも、知ることで守られますように。
医原(薬原)性うつ病や、医原(薬原)性精神疾患に、させられませんように!
教えていただきありがとうございます。
尊敬と感謝をこめまして。
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