カフェモンサンルー

2016/07/18

右と左

久しぶりに、【子どものための哲学対話】を開いたら、
「左翼と右翼ってなに?」
という無邪気な子どもの質問のページが開きました。
メモします。

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ぼく:ねえねえ、ペネトレ。よく政治のはなしで、左翼と右翼とか言うじゃん。あれって、いったいなに?

ペネトレ:政治に関する基本的な考え方のちがいだね。
左翼的な考え方っていうのは、
民族とか国家にしばられない、民衆の創意と自発性を信頼する考え方で、
右翼的な考え方っていえば、
民族の伝統の中で培われたものの見方や、精神的なよりどころとしての国家の役割を重視する考え方だな。

ぼく:どっちが正しいの?

ペネトレ:どっちもおなじようなものだよ。

ぼく:どっちもおなじ?だって、そのふたつは、すごく対立しているんでしょ?

ペネトレ:そもそも対立っていうのは、ほとんど前提を共有しているもののあいだでしか、起こらないんだよ。
白と黒は色というなかまの内で対立しているし、
甘さと辛さは味というなかまの内で対立しているけど、
白と甘さは対立しようにもできない。
人間の対立だっておなじことだよ。
ベートーベンの交響曲の指揮者はフルトベングラーがいいかカラヤンがいいかなんて対立は、ベートーベンの交響曲というものがなにか重要なものだと思っている人たちのあいだでしか、成り立たないんだ。
カラヤンファンとジャイアンツファンのあいだでは、対立なんて起こりようがない。
対立っていうのは、つねになかまうちの対立なのさ。

ぼく:左翼と右翼の政治的な対立も、そうなの?

ペネトレ:そうさ。政治ってものが、心をわきたたせるようななにかだと感じるなかまたちのあいだでだけ、意味を持つような対立だからね。

ぼく:でも、政治って、音楽や野球とちがって、世の中すべてのことに関係しているんじゃないの?

ペネトレ:音楽や野球よりは広く関係しているけど、すべてってことはないさ。
すべての問題を左翼的か右翼的かって観点から見るのは、
すべての問題をフルトベングラー的かカラヤン的かって観点から見るのとおなじほど、バカげたことさ。

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夏休みに入ります。
子どもたちに読み聞かせするのにも楽しい本だと思いますし、
読書感想文を書く題材なんかにもよいのではないかと思いました。
親子で、さまざま哲学的に語り合うのもなかなかオツなものです。

【子どものための哲学対話〜人間は遊ぶために生きている!/永井均 /講談社】
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