カフェモンサンルー

2019/07/17

言葉では難しいとき

欧米のように
ハグしたりする文化がないので
まなざしにこめたり
言葉に託したりしますが
なかなか難しいときがあります。
そんなとき、私なら
静かにしばらく放っておいて欲しいから
相手もそうなのではないかなと
連絡しにくかったり
何もできないまま時間が過ぎてしまうときが多いです。

突発的な事件、
突然のご不幸、
そんなとき
本当に情けないのですが
フリーズしてしまいます。

二十代のときに
母が亡くなり
そのときにお腹の中にちびっこがいました。
命ってなんだ?
人はどこからきて、
どこへいくんだ?
そのとき改めて驚いたのが
【だれも正解を知らない】でした。

お葬式のときのお坊さんも
ちびっこを取り上げてくれたドクターも
親戚のおじさんおばさんたちも
誰一人知らない。

糸井重里さんは
「そういう風にできている」という名コピーを書かれ
さくらももこさんがそれをタイトルにエッセイ本を出されましたが

まさに
そういう風にできている
しかわからないのです。

でも
母が亡くなったとき
不思議なことがあったり
不思議な光が写る写真がたくさん撮れたり
あちらの世界とのことを
さまざま考えるきっかけをくれました。

自宅でお葬式をしたので
近所の人もたくさん来てくださいました。
お仕事仲間や友人の方々も。
でも、
その中に
あきらかに
冷やかし?で来ている人がいて
私は非常に不愉快にみていましたが
まさか入らないでくださいとも言えず
モヤモヤしながら見守っていました。

箱の小さな蓋を開けると対面できるのですが
その人たちの番になり
蓋を開けようとすると
開かなかったのです!
私は心の中で
「母さん、グッジョブ!」とガッツポーズをし、
それでもなお開けようとする失礼な二人組に
「なんか、開かないそうですよ。」と伝え
素早い退席を促しました。

いろんな人がいるな、と
とても勉強になりました。

あちらの世界はたぶんあると思うのです。
暖かくて、優しい風が吹いていて、
懐かしい人たちが待っていてくれて。
時期がくるまでは行ってはいけない場所。

だから
大丈夫、と思いながらも
その体、そのぬくもり、その声に
今触れられないのが
辛いのですよね。
とてつもない喪失感なんですよね。

この穴は
だれも埋められない。
穴と一緒に生きていくしかない。
その穴にときおり思い出を飾ったり
穴を吹き抜けるいやな寒さの風に絶望したりしながら
いつかまた
あちらの世界で会うときに
たくさんのお土産話で笑ってもらえるように
日々を積み重ねてお土産作り。

急な悲しみが癒えた頃
夢にひょっこり出てきてくれるのを
楽しみに。

なんと言ったらよいのかわからないのですが
わたしはわたしの体験したことでしか
うまく伝えられないのが
大変もどかしいです。
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