カフェモンサンルー

2016/04/11

静けさに帰る

 
虚(うつろ)とは
受け容れる能力を言うんだ
目に見えない大いなる流れを
受け容れるには
虚(うつろ)で、
静かな心でいることだ。

静かで空虚な心には、
いままで映らなかったイメージが見えてくる。
萬物は
生まれ、育ち、活動するが
すべては元の根に帰ってゆく。
それは、静けさにもどることだ。
水の行き先は ———— 海
草木の行く先は ————大地
いずれも静かなところだ。
すべてのものは大いなる流れに従って
定めのところに帰る
(そして、おお、
再び甦るのを待つ。)

それを知ることが智慧であり
知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。
いずれはあの静けさに帰り
甦るのを待つのだと知ったら
心だって広くなるじゃないか。
心が広くなれば
悠々とした態度になるじゃないか。
そうなれば、時には
空を仰いで、
天と話す気になるじゃないか。
天と地をめぐって動く命の流れを
静かに受け入れてごらん、
自分の身の上をくよくよするなんて
ちょっと馬鹿らしくなるよ。


【タオ:老子「帰根」/意訳:加島祥造】

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ここしばらく、凪の中にいます。
こんなんじゃ、だめだなあ。と、
SNSなどで知人たちが奮闘しているのを見かけるたび、
ナマケモノの自分を情けなく思ったりして。
そんなときに、
久しぶりに本棚から呼ばれて開いた本に、
「虚とは、受け容れる能力を言うんだ。目に見えない大いなる流れを受け容れるには
虚で静かな心でいることだ」
と書いてあり、
この凪のような、虚のような状態のもつ意味を教えていただいたように思いました。
久しぶりに読みましたが、なんとやさしい本なのだろうかと思います。
近くに、このようなお話を体得した大人がいて、子供たちがそれを聞く機会があったなら、
なんてすばらしいことだろうと思いました。

ウルグアイのムヒカ元大統領が来日されましたが、
若者たちが微動だにせずムヒカさんのお話を聞きもらすまいとする姿勢は、
いま日本の若者たちが、いきる道を指し示してくれる大人を求めていることをあらわしているように思いました。

本日も、21時まで営業しております。
15時から16時くらいに消防点検の予定があります。
ちょぴっと非常ベルが鳴ります。
びっくりさせてしまいましたら申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします。

すてきな一週間となりますように。
みなさまに、愛と感謝と尊敬をこめまして。
カフェモンサンルー