教育というお話
学校というところは、
朝、あたたかい言葉をかけられて見送られる子どもと
朝、蹴り飛ばされて暴言を受け、泣きながら家を出る子どもが
おなじ空間にいるという場所である。
週末、土日と家族でピクニックに行くのを心から楽しみにしている子どもと、
週末、土日と単身赴任の父親が帰ってきて厳しくしつけられるため恐怖のため縮みあがっている子どもが
金曜日の教室には一緒にいるということである。
先日のNHKニッポンのジレンマでは「ディスラプトって何だ?」と題して、
教育の混乱と崩壊をテーマに取り上げていた。
(マスコミやその意図は「ディスラプト」を流行らせたいキーワードとしているらしい。日本語でもいいのに。カタカナ語にしたときに何か訝しくかんじるなあ。)
その中で、先生の役割として生徒のかかえる事情(おなかがすいているとか)を様子をみて判断しながら学習に取り入れたり会話を広げることができる、というお話のあと、
人工知能の分野で活躍する神野元基という方が、
「教室内にセンサー(サーモグラフィなど体温を感知するなど)を設置して、生徒を管理すればいい、人工知能はそれを感知して必要な話を生徒にすることができる」と言っていた。
そんな教室、いやだなあ!!
お客さまに、サイババの毎朝届く言葉がよいですよ、とおすすめいただく。
偶然、教育についてのお話が届いたのでメモします。
---------------------------
学校において、
私たちは恐れや疑いをもつことなく、
無私の愛を育むことを学ばなければなりません。
教師は、高潔な振る舞い、高い道徳性、
そして霊性修行を基盤とした人生を
歩んで行かねばなりません。
明日の教師は今日の生徒から生まれます。
ですから、将来のためにも、
教室の空気を清めることは必要不可欠です。
教師は貯水池です。
学生たちは、教育のプロセスを通じて
そこから命の水を引きます。
ですから、教師は、あらゆる努力をして、
この水に憎しみや傲慢さが混じっていないかを
確かめなければなりません。
学校は、単なる教えと学びの
プロセスの場であってはなりません。
学校教育は
読み書きそろばんだけで終わってはなりません。
学生たちに偉大な理想を植え付け、
それを実行に移すようにさせることもまた
等しく重要な課題です。
— サティヤ サイ ババ
------------------------------------------------------
(人間だもの。完璧になんて無理ですが、自分の中に憎しみや傲慢さが混じってしまったとき、嫉妬や憎悪で苦しいとき、クリーニングする技術や信頼出来るカウンセラーとの出会いは大切ですよね。一切成就の祝詞みたいに日々滞りを流して。子どもたちは、親や先生のインナーチャイルドを投影するでしょう。問題は外にもあるかもしれないけれど内側にもあるのでしょう。)
WHO(世界保健機関)だって、
健康の定義として【身体的、心的、社会的および精神的霊的(spiritual)にダイナミックに安寧な状態】と改めようと提案しているのだ。
参考に《健康と霊性》http://www.iarp.or.jp/kenrei.htm
《健康は霊魂で作られる……WHO執行理事会で霊的健康が健康の定義に加えられた意味は》http://srkanemaru.at.webry.info/200712/article_30.html
霊的とかいうと、いまだにオカルトな考え方しかできない方もいらっしゃるかもしれませんね。
その考え方はどこからきたものですか? 一番最初にそう感じたのはいつですか?
誰かから聞いたのでしたか?
テレビなどから得た情報でしょうか。その価値観は今も正しいと思いますか?それはどうしてですか?
ちょっぴり過激な内科医の内海聡さんは、霊的や霊性などは信じないとしながらも、
世の中を動かしている「彼ら」が、
私達の、怪しいものではなく、まがいものでもなく本当の、自分のための、「霊的な成長」や「霊性を高める機会」を「破壊」し「汚染」することで、
「永遠に搾取し続ける」ことを目的としていると著書に書いていました。
ああ、なるほどね。その部分を読んで膝を打ちました。ポンッ!
人工知能では、子どもたちの波長を上げられない。
そのきっかけをも。
人工知能を発明した人が、
原爆の開発者でもあるのだそう。
《人工知能の生みの親は、実は原爆の開発者でもある/人工知能は私たちを滅ぼすのか》
http://diamond.jp/articles/-/87924
そもそも霊性って何だ?
日本人の多くの方と同じく、私も、お正月には神社へ行き、
お盆にはお寺に行き、
クリスマスにはクリスマスの雰囲気を楽しんでいます。
すべてのものに宿る大いなる何か、摂理に、感謝と尊敬を思います。
そんな人たちにとっての霊性、霊的成長とは……。
生活の質、今を生きるということ、気づき、自己の存在の意味、生きる目的、などなど……。
ヴィクトール・フランクル曰く、
《人間は、「自らの自由意思に基づいた責任のある決断を行い、人生の意味や、価値を追及しうる存在」
すなわち、「意味への意志」を発動することのできる存在である。》
由井とらこさんは、こうお話していました。
「先生になる人たちに求められるのは、
まず一番に子どもたちへの愛があること。
二番目に情熱があること。
そして子どもたちの心がいきいきとするように、
心に響く面白い言葉で話してあげること。
これは壇上に立つ人の務めであると思います。
(中略)
子どもというのは一人一人が全然違うので、
全員を統一規格にあてはめるなんて無理なのです。
特に反抗的な子に対しては、
どれだけ親や先生が忍耐をもってその子と接することができるかが問われます。
(中略)」
続きを読みたい方はサンルー図書コーナーにて。
先日、発達障害と診断されている子どもに関わるお仕事を目指しているお客さまとお話しました。
ぜひ、ご自身のインナーチャイルドを癒して、心の奥から柔らかく生きやすくなるとよいなあ、と祈りました。
麻痺させている感情に気付くことで直感力や霊性が高まり、マーティンピストリアスさんを絶望から救った
アロマセラピストの方のように、困っている子どもたちを助けることができるかもしれない。(本当に助けたいと思っているのならば。)
長くなりました。
本日もご覧いただきましてありがとうございます。
教育の現場のみなさまに、深い感謝と尊敬を。
霊性の働き(シンクロや直感力や自然への感謝や生き生きとした感覚)を抑圧し、霊的成長(自己の心や精神の成長)を阻害するクスリではなく、
自然療法など体と心に副作用なく自分らしさを保てるもの、そして高めるものと出会えますよう心より願っております。
朝、あたたかい言葉をかけられて見送られる子どもと
朝、蹴り飛ばされて暴言を受け、泣きながら家を出る子どもが
おなじ空間にいるという場所である。
週末、土日と家族でピクニックに行くのを心から楽しみにしている子どもと、
週末、土日と単身赴任の父親が帰ってきて厳しくしつけられるため恐怖のため縮みあがっている子どもが
金曜日の教室には一緒にいるということである。
先日のNHKニッポンのジレンマでは「ディスラプトって何だ?」と題して、
教育の混乱と崩壊をテーマに取り上げていた。
(マスコミやその意図は「ディスラプト」を流行らせたいキーワードとしているらしい。日本語でもいいのに。カタカナ語にしたときに何か訝しくかんじるなあ。)
その中で、先生の役割として生徒のかかえる事情(おなかがすいているとか)を様子をみて判断しながら学習に取り入れたり会話を広げることができる、というお話のあと、
人工知能の分野で活躍する神野元基という方が、
「教室内にセンサー(サーモグラフィなど体温を感知するなど)を設置して、生徒を管理すればいい、人工知能はそれを感知して必要な話を生徒にすることができる」と言っていた。
そんな教室、いやだなあ!!
お客さまに、サイババの毎朝届く言葉がよいですよ、とおすすめいただく。
偶然、教育についてのお話が届いたのでメモします。
---------------------------
学校において、
私たちは恐れや疑いをもつことなく、
無私の愛を育むことを学ばなければなりません。
教師は、高潔な振る舞い、高い道徳性、
そして霊性修行を基盤とした人生を
歩んで行かねばなりません。
明日の教師は今日の生徒から生まれます。
ですから、将来のためにも、
教室の空気を清めることは必要不可欠です。
教師は貯水池です。
学生たちは、教育のプロセスを通じて
そこから命の水を引きます。
ですから、教師は、あらゆる努力をして、
この水に憎しみや傲慢さが混じっていないかを
確かめなければなりません。
学校は、単なる教えと学びの
プロセスの場であってはなりません。
学校教育は
読み書きそろばんだけで終わってはなりません。
学生たちに偉大な理想を植え付け、
それを実行に移すようにさせることもまた
等しく重要な課題です。
— サティヤ サイ ババ
------------------------------------------------------
(人間だもの。完璧になんて無理ですが、自分の中に憎しみや傲慢さが混じってしまったとき、嫉妬や憎悪で苦しいとき、クリーニングする技術や信頼出来るカウンセラーとの出会いは大切ですよね。一切成就の祝詞みたいに日々滞りを流して。子どもたちは、親や先生のインナーチャイルドを投影するでしょう。問題は外にもあるかもしれないけれど内側にもあるのでしょう。)
WHO(世界保健機関)だって、
健康の定義として【身体的、心的、社会的および精神的霊的(spiritual)にダイナミックに安寧な状態】と改めようと提案しているのだ。
参考に《健康と霊性》http://www.iarp.or.jp/kenrei.htm
《健康は霊魂で作られる……WHO執行理事会で霊的健康が健康の定義に加えられた意味は》http://srkanemaru.at.webry.info/200712/article_30.html
霊的とかいうと、いまだにオカルトな考え方しかできない方もいらっしゃるかもしれませんね。
その考え方はどこからきたものですか? 一番最初にそう感じたのはいつですか?
誰かから聞いたのでしたか?
テレビなどから得た情報でしょうか。その価値観は今も正しいと思いますか?それはどうしてですか?
ちょっぴり過激な内科医の内海聡さんは、霊的や霊性などは信じないとしながらも、
世の中を動かしている「彼ら」が、
私達の、怪しいものではなく、まがいものでもなく本当の、自分のための、「霊的な成長」や「霊性を高める機会」を「破壊」し「汚染」することで、
「永遠に搾取し続ける」ことを目的としていると著書に書いていました。
ああ、なるほどね。その部分を読んで膝を打ちました。ポンッ!
人工知能では、子どもたちの波長を上げられない。
そのきっかけをも。
人工知能を発明した人が、
原爆の開発者でもあるのだそう。
《人工知能の生みの親は、実は原爆の開発者でもある/人工知能は私たちを滅ぼすのか》
http://diamond.jp/articles/-/87924
そもそも霊性って何だ?
日本人の多くの方と同じく、私も、お正月には神社へ行き、
お盆にはお寺に行き、
クリスマスにはクリスマスの雰囲気を楽しんでいます。
すべてのものに宿る大いなる何か、摂理に、感謝と尊敬を思います。
そんな人たちにとっての霊性、霊的成長とは……。
生活の質、今を生きるということ、気づき、自己の存在の意味、生きる目的、などなど……。
ヴィクトール・フランクル曰く、
《人間は、「自らの自由意思に基づいた責任のある決断を行い、人生の意味や、価値を追及しうる存在」
すなわち、「意味への意志」を発動することのできる存在である。》
由井とらこさんは、こうお話していました。
「先生になる人たちに求められるのは、
まず一番に子どもたちへの愛があること。
二番目に情熱があること。
そして子どもたちの心がいきいきとするように、
心に響く面白い言葉で話してあげること。
これは壇上に立つ人の務めであると思います。
(中略)
子どもというのは一人一人が全然違うので、
全員を統一規格にあてはめるなんて無理なのです。
特に反抗的な子に対しては、
どれだけ親や先生が忍耐をもってその子と接することができるかが問われます。
(中略)」
続きを読みたい方はサンルー図書コーナーにて。
先日、発達障害と診断されている子どもに関わるお仕事を目指しているお客さまとお話しました。
ぜひ、ご自身のインナーチャイルドを癒して、心の奥から柔らかく生きやすくなるとよいなあ、と祈りました。
麻痺させている感情に気付くことで直感力や霊性が高まり、マーティンピストリアスさんを絶望から救った
アロマセラピストの方のように、困っている子どもたちを助けることができるかもしれない。(本当に助けたいと思っているのならば。)
長くなりました。
本日もご覧いただきましてありがとうございます。
教育の現場のみなさまに、深い感謝と尊敬を。
霊性の働き(シンクロや直感力や自然への感謝や生き生きとした感覚)を抑圧し、霊的成長(自己の心や精神の成長)を阻害するクスリではなく、
自然療法など体と心に副作用なく自分らしさを保てるもの、そして高めるものと出会えますよう心より願っております。
<< ホーム