カフェモンサンルー

2019/01/04

何となく ただありがたき心

年末年始とインナーチャイルドさん。
感情が揺れたとき、ザワザワしたとき、ムカムカしたとき、泣きたくなったとき、
気づいて欲しくて、ひょっこりと現れるちびっこ心。

みなさんは、どんなインナーチャイルドさんに会いましたか。

私やマスターは
年々穏やかに過ごせるようになりました。
インナーチャイルドを癒すことや
レメディ のチカラや、健康相談にかかり続けたことで
さまざま理解したり腑に落としたり。
二人で取り組めることもスピードを上げているような感じがします。

インナーチャイルドに気づいたり癒しがはじまると
あのとき自分は本当はこうして欲しかった、
あのとき本当は苦しくて傷ついていた、
など
自分の感情に気づくようになり、
それを認めて、出して、癒して行くと
次は、だんだんと
その時代の両親が、その年齢や自分なりの精一杯を生きていたことも知り、
自分が求めていた愛情表現ではなかったとしても
違う愛情表現をしていてくれたことに気づいて、
さらには
学校や先生や友人たちの不条理さも
感情をすくいとり、あるべき場所へ手放してゆくことで、
あのときは仕方なかったと思えるようになり、
その中で、自分はベストな選択を常にしてきたということに気づき、
さらには、これからもきっとベストな選択が出来るという自己肯定や自分に対する信頼感を深め、
それらを導いたシンクロや、数々の偶然や、閃きを思い出す時に
ああ、何だかわからんけど、ありがたいことだなあ。
とわきあがるように感謝がおきます。
そのとき、真の癒しが起きている気がします。
誰かに強制されて感謝するのではなく、
ただこんこんとありがたさがあふれてくるような。
言葉にすると、陳腐だけれど。

平安時代の歌人西行さんが
お伊勢参りに行ったとき

なにごとの おはしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる

と詠んだそうです。

どなたさまがいらっしゃるのかは
よくわかりませんが
畏れおおくて、ありがたくて、
涙があふれてきます。

というような意味だそうです。

また、江戸初期の伊勢の神主さんは
神の道というものについて
「何となく ただありがたき心」
とお話されているそうです。

神の道、なんていうと
またすぐに宗教だと騒いだりする人もいるかもしれませんが
なんというか、
生きる道、ということかなと。

なんだかよくわからないけれど
生かしていただいてありがとうございます。
自分自身にもありがとう。

日常にまぎれると
すぐ忘れてしまうから
空をみたり
流れる雲をながめたり
植物の形や
おひさまや月や星の不思議さを
感じることで
いつも自然の中にある「有り難さ」を思い出し
またそれは
自分という存在も不思議で有り難いものであると、
みんなそうなんだ、みんな不思議で有り難い存在だ、ということを
思い出させてくれます。

インナーチャイルドを癒す仲間たちが
どんどん輝きを増し、
目にチカラが宿り、
自分らしく生きていく覚悟をきめていらして
本当にまぶしい!
すごい!

たのしく
ゆかいに
光も闇も抱き参らせて。
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