カフェモンサンルー

2011/04/20

さくら

通りすぎてゆくさくらの季節。
来年はゆっくり愛でよう。
来年の私よ、しっかり生きているかい。
 
 
【新しき流れの中へ】ジェームズレッドフィールド/キャロルアドリエンヌ
山川鉱矢+山川亜希子=訳
角川文庫 762円
 
P.24〜25より。
「世界は今、目まぐるしいスピードで変化しています。以前は何千年もかかった変化が、今では数十年かそれ以下で起こってしまうのです。この加速化は、すべての文化のあらゆるレベルで起こっており、こうした急激で巨大な変化が新しい問題を引き起こしています。一つのシステムが崩壊するとき、私たちの反応は興奮と喜びから恐怖と絶望まで、それは様々です。環境破壊問題や社会問題の話を聞いたり、目の当たりにした時、私たちは何か行動しなければ、という思いにかられます。しかし、ほとんどの場合、何もしません。変化のペースが速まるにつれ、もう追い付いてゆけそうにない、自分の未来は自分ではコントロールできないという思いにとらわれてしまい、何とか状況に合わせようとします。変化の速度や、仕事、その他のしなければならないことに圧倒されて、自分にできることは"誰か"が何とかしてくれるだろうと期待することだけだと思い込みます。行動を邪魔しているもの、時間、お金、家庭なども、自分が今まで通りの生活をし続けるための正当化の理由となります。しかし、身動き一つできない真の原因は、絶望感と自分にはどうしようもできないという無
力感なのです。
 
今週、あなたに何があったかによって、あなたは未来に対して悲観的になったり、楽観的になったりします。悲観的見方とは、世界は急速に坂道をころがり落ちており、すでに私たちは、経済的、政治的、環境的にみて、非常に重大な危機的状況にあるが、近い将来にこれが変わる望みはない、というものです。
楽観的な見方とは、世界は一大変化のプロセスにあり、常識と直感的な導きによって、人類は見たところは解決できそうにない問題に、新しい解決法を思いつくチャンスが十分にある、というものです。個人としても、私たちはこの二つの見方の間を揺れ動いています。しかし、この対立した二つの見方は、新しい世界観への移行が行われる間に両極端をゆれ動き、二つの集団的な心の状態を作り出してゆきます。
楽観主義と悲観主義の極化現象は一つの十字路を作っています。これは、私たち人類は、今、選択しなければならない時にいる、ということです。そして、選択できるということは、私たちが力を持っているということを意味しています。」
カフェモンサンルー