カフェモンサンルー

2014/10/17

癒す心、治る力

アメリカで、結婚したばかりの女性が脳の病気となり
医師から余命半年と宣告されたそうです。
彼女は残された時間を家族と過ごし、来月一日に安楽死する予定なのだそうです。
情報番組や記事にとりあげたメディアでは「安楽死」について議論が活発にされていましたが、
私は「余命宣告」について考えてしまいました。
デリケートな問題なのでさまざまな意見があると思います。
アメリカのその女性は、親友が外科医だそうなので、
ますます現代医療以外の方法は受け入れられないタイプなんだろうなと思います。

アンドルーワイルさんのベストセラー【癒す心、治る力】から抜粋します。
…………………………………………………………………………

第4章 医学のペシミズム

「病院でのブードゥー死」

自分の職業の短所について書くのは気がすすまない。
だが、その短所はわれわれすべてに不幸な結果をもたらしている元凶ともいえるものだ。
率直にいおう。あまりにも多くの医師が、治る可能性について悲観的な見解を持ちすぎ、
そのペシミズム(悲観主義)を患者や患者の家族に投影している。
わたしのところにくる患者の多くが、なんらかのかたちで、医師から
「治ることは期待できない」
「病気とともに生きることを学べ」
「覚悟をしたほうがいい」
「これ以上、医学にできることはない」
という意味のことをいわれている。
(中略)
「医師は話を聞いてくれないし、質問にもちゃんと答えてくれない」
「医者はくすりをくれるだけだ。もうくすりはのみたくない」
「これ以上できることはない、といわれた」
「悪くなる一方だ、といわれた」
「病気と共存するしかない、といわれた」
「あと半年のいのちだ、といわれた」
とくに後半の4つのことばは、きわめて不穏当だと思われる。
そこに人間の治る力にたいする深いペシミズム(悲観主義)が反映されているからだ。
最悪の場合、医師のこうした態度は医療の「呪い」ともいうべき力を発揮することになる。
(中略)
医学的研究によると、呪いによる慢性病や衰弱死の背景には、
不随意神経系の錯乱的な乱れのような、いくつかの生理学的メカニズムが関与していると考えられている。
いわゆる「ブードゥー死」は、否定的なプラシーボ反応の究極の実例なのだ。
呪い現象を異文化に特有なものとして片づけるのはやさしいが、
現代社会においても、病院、診療所、開業医の診療室などで同様な呪いが毎日かけられていることに、
われわれは気がついていない。
…………………………………………………………………………

おわりに〜社会への処方せん

医学が病気よりも治癒のほうに注意を向け、人間の自然治癒力を信じる医師たちが、
治療よりも予防を重視しているような未来社会をイメージしてほしい。
そのような社会になったら、救命救急施設を除いて、病院は治療の場ではなく、
どちらかといえば温泉保養地に似たものになるだろう。
患者はそこで健康的な生活の原理を学び、それを身につけることができる。
からだにいい食事とはなにかを学び、そのつくりかたを覚える。
からだの要求を満たし、からだに注意を払う方法を学び、
治癒をうながすようなこころの使い方を学ぶ。
そして、人びとの医療の専門家への依存はだんだんに減っていくだろう。
救命救急施設においても、たとえば損傷を受けた器官の再生を刺激するような、治癒系のはたらきを助ける方向にテクノロジーが利用されるようになるだろう。
そのような施設でも、すべての患者が現代医学と代替医学の最高のアイデアとメソッドを利用できるようになるだろう。
そのような社会になったら、医師と患者は同じ目的に向かって努力するパートナーになり、医療過誤をめぐる訴訟などはめったにみられなくなるだろう。
保険会社は予防医学教育と自然療法が企業の最大の利益につながることを知り、喜んでそれらに償還するようになるだろう。
では、そのような方向に向かおうとする医療の邪魔をしているものはなんなのだろうか?
(中略)
こうした状況にたいして、どんな対策が考えられるだろうか。
問題の根本は医学教育にあると、わたしは考えている。
もし医学生たちが大学で科学および健康のオルタナティブ(現状に替わるべき)モデルを学び、
自然治癒力の研究が奨励され、
みずからも患者にとって健康的なライフスタイルの役割モデルとなるべく研鑽する機会が与えられたとしたら、先にあげたような障害はすべて解消の兆しをみせはじめるだろう。
新しい世代の医師たちは、いずれは治療の標準の変革につながるような研究に意欲を燃やし、
もっとましな分野に資金を使うように保険会社を指導するようになるだろう。
新しい世代の医師たちは、患者が自己に投影している信念をたくみに受け止め、
自発的治癒の発現が増大するような方向にそれを投影し返すだけの知恵を身につけるだろう。
彼らは病院というより温泉保養地に近いかたちの、新しい医療施設をデザインし、そこではたらく人たちを育成するだろう。
そして、医師と患者の信頼関係を回復し、医療訴訟は激減するだろう。
(中略)
…………………………………………………………………………

訳者あとがき

ワイル博士はアリゾナ大学医学校で教鞭をとっている。
その講義はとてもユニークなものらしい。
たとえば新入生にはいきなり「地球にふさわしい医学とはなにかを考えよ」という、禅の公案にも似たテーマをあたえる。
「いいかね。自分が異星から飛来してきた宇宙人になったつもりで、この星をよく観察するんだ。
地球人が行っている医療は、本当にこの星の環境にマッチしているものかどうか。
もっとこの星にふさわしい方法はないものかどうか」
新入生たちが目を白黒させているようすが目に浮かぶ。
学生がスポーツなどでけがをする。
するとワイル博士は待ってましたとばかりにこう語りかける。
「おめでとう。きみは大切なことを学ぶ機会をあたえられた。
そのけがの治癒のプロセスをよく観察するんだ。
なにが治癒を促進し、なにが阻害しているか、それをできるだけ細かく観察したまえ」
そしてお得意の治癒論がはじまる。
(中略)
博士はまた難病から生還した人をよく教室につれてくる。
統計的には治癒率がきわめて低いとされている病気でも、
世の中にはいわゆる「奇跡的治癒」をとげた人が必ずいるものだ。
博士自身が診た患者のなかにもいる。
医学生たちにそういう人の体験談を直接聞かせ、生まれながらに備わっている「自発的治癒」の力が、
ときに医学や統計学の理論を裏切って発揮されることがあるという事例の生きた見本にふれさせ、
治癒力のすさまじさを実感させて、未解明の「治癒系」に目を向けさせることが目的なのだ。
…………………………………………………………………………
以上、【癒す心、治る力・アンドルーワイル著・上野圭一訳・角川文庫】より

余命半年と言われ、いま家族と行きたい場所へ行き、食べたいものを食べ、
地球やまわりに感謝をしながら過ごしているアメリカの女性。
もしかしたら、そのようなライフスタイルが、脳の病を奇跡的に治癒させてくれることを祈りながら。
カフェモンサンルー