生きる力が弱まったとき、助けてくれる存在
きのう、フッ素についてあらためてさまざま調べていたときに
元旦の朝刊の記事を探していましたら偶然興味深い記事を見つけましたのでメモします。
河北新報オンラインニュース【霊、時には癒しに。男性、被災地で幽霊話取材】http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150104_15005.html
ジャーナリストの奥野修司さんは、東日本大震災の被災地で、
犠牲になられた方の霊を見た家族や知人から聞き取りを進めているそう。
科学的ではない、という方もいらっしゃるでしょうが、
科学とは常に進化しているもの。
近い未来に、亡くなった方と通信できる科学が生まれるかもしれませんよね。
奥野さんは記事の中で
「自由に語れる環境をつくりたい。他人と話し、納得してもらうことが癒しにつながる。
昨日お父さんが来た、と話す遺族に、「良かったね」と言えば、
それが精神的なケアになる。」とお話されています。
精神医療の問題を教えていただくようになって、
そういった霊感のアンテナが強いだけで薬漬けにされている方々がいらっしゃるのではないかと心配しているところでしたので
奥野さんがお話されるような「何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。それがごく普通のことなんだと認めあう社会の方が楽に生きられると思う。」そんな社会がいいですね。
ただ、霊があれをもってこいと言っている、とか、○○をお供えしないとだめだ、とか、
高価な品物を売り付けたり、おどかしたりするような輩には気をつけなければなりませんが。
いつも興味深いお話をのせている「In Deep」さんの記事を今朝拝見しましたら、
なんと偶然にもまた奥野修司さんの記事のことを書かれていてびっくりしました。
河北新報の記事なので、東北にお住まいではない「In Deep」さんが記事にされているのが驚きでした。
http://oka-jp.seesaa.net/article/411789810.html
「見る方にも、幽霊を見るメカニズムが働いているのでは?」
とかかれています。
脳内が見せた幻影なのではないかという人もいるそうです。
私は母が亡くなってから、不思議なことがたくさんありました。
形として見ませんが、気配や音、仏壇に手をあわせたときにその手を包むような手のぬくもりを感じたり。
写真にも白くて丸い光が高速で移動しているのが写ったりしました。
人は死んだら光の玉になるのか、と納得しました。
その光の玉が生前の形を作ったときに幽霊と言われるのもしれません。
最初は白かった光の玉が、だんだん透明になり、
何年かしてまだ幼児だったちびっこが、「おばあちゃん、いなくなっちゃったねぇ。」と言うようになりました。
私も母を感じることがなくなりました。(ちびっこは、母が亡くなった五ヶ月後に生まれているので会ったことはないのですが、なぜか「おばあちゃん、ここにいるよ。」とか交信しているようでした)
答えあわせは、自分があちらの世界にいってからですが、
たぶん幽霊を見る方は、亡くなった方と一瞬波長が合ったのかもしれません。
脳内にはその波長をキャッチできる場所があるのではないかしら。いつもではないけれど、その人が必要なときに開く回路のような機能。
越智啓子さんは、ラジオのチューナーに例えて説明していらっしゃいましたね。
うまく説明できなくて申し訳ありません。
親しい方を亡くされて元気がでない方は、ブライアンLワイス博士の「魂の療法」などの前世療法シリーズも読んだら癒されるかもしれません。
生き残っている私たちが、亡くなった方々に感謝を捧げながら、日々和やかに笑って暮らしていることが、
あちらの世界の安心につながっているようにも思います。
いつかは必ずあちらへ行きますから、なるべくおもしろい体験や「すべらない話」を手土産に、
あちらで亡くなった方々に会いたいと思います。
世界一美しいオーブ写真集はこちら→ THE ORBS-JAPAN.COM PROJECT http://www.orbs-japan.com/
オーブの動画《静かな森の訪問者たち》http://www.dancing-orb.net/move_orb.html
世界は不思議で満ちている。
なーんにもわからないことの方が多いんだ。
なぜ幽霊を見る遺族がいるのだろうか、という記者の問いに、
奥野さんは、「幽霊を見るのは人に備わった生理反応で自身を癒しているのかもしれない。
生きる力が弱まったとき、助けてくれる存在なのかもしれない」と答えていらっしゃいました。
依存するのではなく、自立してゆくために、そっと。
追記:最初この記事のタイトルを「幽霊と呼ばないで」としたかったのですが
そのときはうまくそのタイトルを使えなかったので奥野さんのお話から引用したタイトルにしました。
数日頭からはなれず、「スピリット」にすればよかったかな、とかさまざま考えています。
ものに名前をつけたとたんにさまざまな意味を名前が持ちだすので、とくにこういったデリケートで
かたちのないことやスピリチュアルな現象に対するちょうどいい言葉についてはいつも悩みます。
村上和雄さんの「創造したなにか(神様)」につけられた「サムシンググレート」はいい言葉ですね。なにかすごいもの、なにか偉大なものと。
元旦の朝刊の記事を探していましたら偶然興味深い記事を見つけましたのでメモします。
河北新報オンラインニュース【霊、時には癒しに。男性、被災地で幽霊話取材】http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150104_15005.html
ジャーナリストの奥野修司さんは、東日本大震災の被災地で、
犠牲になられた方の霊を見た家族や知人から聞き取りを進めているそう。
科学的ではない、という方もいらっしゃるでしょうが、
科学とは常に進化しているもの。
近い未来に、亡くなった方と通信できる科学が生まれるかもしれませんよね。
奥野さんは記事の中で
「自由に語れる環境をつくりたい。他人と話し、納得してもらうことが癒しにつながる。
昨日お父さんが来た、と話す遺族に、「良かったね」と言えば、
それが精神的なケアになる。」とお話されています。
精神医療の問題を教えていただくようになって、
そういった霊感のアンテナが強いだけで薬漬けにされている方々がいらっしゃるのではないかと心配しているところでしたので
奥野さんがお話されるような「何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。それがごく普通のことなんだと認めあう社会の方が楽に生きられると思う。」そんな社会がいいですね。
ただ、霊があれをもってこいと言っている、とか、○○をお供えしないとだめだ、とか、
高価な品物を売り付けたり、おどかしたりするような輩には気をつけなければなりませんが。
いつも興味深いお話をのせている「In Deep」さんの記事を今朝拝見しましたら、
なんと偶然にもまた奥野修司さんの記事のことを書かれていてびっくりしました。
河北新報の記事なので、東北にお住まいではない「In Deep」さんが記事にされているのが驚きでした。
http://oka-jp.seesaa.net/article/411789810.html
「見る方にも、幽霊を見るメカニズムが働いているのでは?」
とかかれています。
脳内が見せた幻影なのではないかという人もいるそうです。
私は母が亡くなってから、不思議なことがたくさんありました。
形として見ませんが、気配や音、仏壇に手をあわせたときにその手を包むような手のぬくもりを感じたり。
写真にも白くて丸い光が高速で移動しているのが写ったりしました。
人は死んだら光の玉になるのか、と納得しました。
その光の玉が生前の形を作ったときに幽霊と言われるのもしれません。
最初は白かった光の玉が、だんだん透明になり、
何年かしてまだ幼児だったちびっこが、「おばあちゃん、いなくなっちゃったねぇ。」と言うようになりました。
私も母を感じることがなくなりました。(ちびっこは、母が亡くなった五ヶ月後に生まれているので会ったことはないのですが、なぜか「おばあちゃん、ここにいるよ。」とか交信しているようでした)
答えあわせは、自分があちらの世界にいってからですが、
たぶん幽霊を見る方は、亡くなった方と一瞬波長が合ったのかもしれません。
脳内にはその波長をキャッチできる場所があるのではないかしら。いつもではないけれど、その人が必要なときに開く回路のような機能。
越智啓子さんは、ラジオのチューナーに例えて説明していらっしゃいましたね。
うまく説明できなくて申し訳ありません。
親しい方を亡くされて元気がでない方は、ブライアンLワイス博士の「魂の療法」などの前世療法シリーズも読んだら癒されるかもしれません。
生き残っている私たちが、亡くなった方々に感謝を捧げながら、日々和やかに笑って暮らしていることが、
あちらの世界の安心につながっているようにも思います。
いつかは必ずあちらへ行きますから、なるべくおもしろい体験や「すべらない話」を手土産に、
あちらで亡くなった方々に会いたいと思います。
世界一美しいオーブ写真集はこちら→ THE ORBS-JAPAN.COM PROJECT http://www.orbs-japan.com/
オーブの動画《静かな森の訪問者たち》http://www.dancing-orb.net/move_orb.html
世界は不思議で満ちている。
なーんにもわからないことの方が多いんだ。
なぜ幽霊を見る遺族がいるのだろうか、という記者の問いに、
奥野さんは、「幽霊を見るのは人に備わった生理反応で自身を癒しているのかもしれない。
生きる力が弱まったとき、助けてくれる存在なのかもしれない」と答えていらっしゃいました。
依存するのではなく、自立してゆくために、そっと。
追記:最初この記事のタイトルを「幽霊と呼ばないで」としたかったのですが
そのときはうまくそのタイトルを使えなかったので奥野さんのお話から引用したタイトルにしました。
数日頭からはなれず、「スピリット」にすればよかったかな、とかさまざま考えています。
ものに名前をつけたとたんにさまざまな意味を名前が持ちだすので、とくにこういったデリケートで
かたちのないことやスピリチュアルな現象に対するちょうどいい言葉についてはいつも悩みます。
村上和雄さんの「創造したなにか(神様)」につけられた「サムシンググレート」はいい言葉ですね。なにかすごいもの、なにか偉大なものと。
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