カフェモンサンルー

2017/06/29

「き・く・あ 」の思想

以下、抜粋です。

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「き・く・あ」という言葉は聞きなれないものだと思います。
私が作った造語ですから、一般的には知られていないでしょう。
「き・く・あ」とは、「競わない・比べない・争わない」の略です。
前述しましたが、「幸せ」というものを追い続けていった結果、私の中でわかったことがあります。
それは、すべての人が指を指して「これが幸せだ」と言える事物や現象は地球上に(宇宙にも)存在しない、ということでした。
「幸せ」というのは、その人が「幸せだ」と思ったら、その人にのみ帰属して存在する、というのが私が到達した宇宙的な結論なのです。
では、「幸せ」は「感じるもの」であるならば、なぜ皆がそれを感じることができないのでしょうか。
「幸せ」の構造は大変簡単であるにもかかわらず、
多くの人が「幸せ」を手に入れているとは思えません。なぜか。
それは、「競うこと」「比べること」「争うこと」を前提として生きることを教え込まれてしまったからです。
人と競うこと、比べること、争うことで人より抜きん出て、
初めて「えらい」とか「立派だ」とか「素晴らしい」という評価をされる、という価値観で生きる日々を送ってきました。
もともと学校教育というものがそうでした。
「相対評価」というものでクラスの中の上位何%にいる人を「5」、
下位何%にいる人を「1」とランク付けし、
そのランク付けの競い合いの中で人材を育成するという教育方法を日本の教育界はとってきたわけです。
その結果、私たちは「幸せとは、競うこと・比べること・争うことで初めて手に入るのだ。人より抜きん出て、勝ち続けることが、幸せを手にいれる唯一の道である」と信じ込まされてきました。
「優勝」という言葉は、実は「優勝劣敗」という四文字熟語の上の2文字です。
「優勝劣敗」とは、つまり「優れたものは勝ち、劣ったものは負ける」という思想です。
あまり楽しい言葉ではありません。
しかし、私たちは「勝つことが正しいことであり、勝つことや抜きん出ることが優れていることの証しである。」と教え込まれてきました。
その20世紀的な価値観から、そろそろ抜け出してよい時期に来ているのではないでしょうか。
21世紀は「競うこと」「比べること」「争うこと」を基礎的な価値観とするのではなく、
「競わないこと」「比べないこと」「争わないこと」を基礎的な価値観とすることはできないものでしょうか。
競うことではなく、自分が楽しいと思えるような(この瞬間だけでなく、未来にわたって継続できるような、楽しい)生き方をするということに他なりません。
自分の生活の中で「他人と比べない」「世間と比べない」ということが身についたら、
生きることがどれほど楽になるかわかりません。

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以上、「ただしい人から たのしい人へ〜もう一歩奥の人格論〜/ 小林正観/ 弘園社」より

この本は15年前に出たものです。
時代は、ゆっくりではありますが、正観さんが観た未来にだんだん近づいているように思います。
ただ、20世紀的な価値観で育った大人がまだたくさんいるので、足を引っ張っているかもしれません。
メモでした。
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