春の二冊
岡 潔 さんの文章に触れたくなりました。
さまざまな事件やニュースを耳にして、やりきれないときは
本当に智慧のある方のお話が聞きたくなります。
岡潔さんは、1901年大阪市生まれ。
京都帝国大学理学部数学科を卒業後、京都帝国大学講師に。のちフランスへ留学し、生涯の研究課題となる「多変数解析函数論」に出会います。
後年、その分野において世界中の数学者が解けなかった難題「三大問題」を、たった一人ですべて解決。
1949年、奈良女子大学教授に就任。
1960年に文化勲章受賞、1963年に毎日出版文化賞を受賞、多くの随筆を著した世界的大数学者です。
【春宵十話/岡潔/1963年/光文社文庫】
p.15〜16「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。
人には交感神経系統と
副交感神経系統とあり、
正常な状態では両方が平衡を保っているが、
交感神経系統が主に働いているときは、数学の研究でいえば
じわじわと少しずつある目標に詰めよっているときで、気分からいうと内臓が板にはりつけられているみたいで、
胃腸の動きはおさえられている。
副交感神経系統が主に働いているときは調子に乗ってどんどん書き進むことができる。
そのかわり、胃腸の動きが早すぎて下痢をする。
最近、ある米国の医学者が犬を使って交感神経系統を切断する実験をやったが、結果は予期したとおり下痢を起こし、大腸に潰瘍ができた。
人でも犬でも、根本の生理は変わらない。
感情に不調和が起こると下痢をするというが、本当は情緒の中心が実在し、それが身体全体の中心になっているのではないか。
その場所はこめかみの奥の方で、大脳皮質から離れた頭のまん中にある。
ここからなら両方の神経系統が支配できると考えられる。
情緒の中心だけでなく、人そのものの中心がまさしくここにあるといってよいだろう。
そうなれば、情緒の中心が発育を支配するのではないか、とりわけ情緒を養う教育は何より大事に考えねばならないのではないか、と思われる。
単に情操教育が大切だとかいったことではなく、きょうの情緒があすの頭を作るという意味で大切になる。
情緒の中心が実在することがわかると、
劣等生というのはこの中心がうまくいってない者のことだから、ちょっとした気の持ちよう、
教師の側からいえば気の持たせ方が大切だということがわかる。
また、学問はアビリティーとか小手先とかでできるものではないこともわかるだろう。」
【春の草〜私の生い立ち〜/岡潔/1966年/日経ビジネス人文庫】
p.38〜p.39「人の子は、通常生後八ヶ月ぐらいになると、ひどく変わった目の色をします。
なんだか非常に遠いところをみて、なにかを思い出そうとしているようでもあれば、
またひどく懐かしそうでもある。
また一年6ヶ月ぐらいになると、数学の自然数の「一」がわかる時期が来る。
一即一切、一切一即といい慣わされている「妙観察智(みょうかんさっち)」が備わる。
そうすると、それまで「ホタホタ」しか笑えなかったのが「ニコニコ」笑えるようになってくる。
この時期は非常に大切で、その少し前から準備を始めなければなりません。準備には全身運動をします。私の男の孫の場合は、「お手々ぶらぶら」とか「焼き芋ごろごろ」とかいろいろやりました。
大切なのは「一時に一事」ということ、つまり一時に一つのことしか絶対にしないということです。しかし、こんなことを始めなければならないのですから、生後八ヶ月に始まると思われる"懐かしさの季節"はそう長くは続かないわけです。
いまの人は、人は死ねばそれまでと思っているが、
明治以前の日本人は、人は死んでもそれまでなどとは決して思えなかったらしい。
あの"懐かしさの季節"のなかで
過去世の非常に深い印象の色どりをいろいろ思い出しているのではないでしょうか。」
40年以上も前に書かれた随筆ですが
いまもなお普遍的なメッセージを私たちに投げかけてくださっています。
今日気になったところを抜粋させていただきましたが、
どのページにも深い真理のようなものが、情緒とともにただよっている本です。
さまざまな事件やニュースを耳にして、やりきれないときは
本当に智慧のある方のお話が聞きたくなります。
岡潔さんは、1901年大阪市生まれ。
京都帝国大学理学部数学科を卒業後、京都帝国大学講師に。のちフランスへ留学し、生涯の研究課題となる「多変数解析函数論」に出会います。
後年、その分野において世界中の数学者が解けなかった難題「三大問題」を、たった一人ですべて解決。
1949年、奈良女子大学教授に就任。
1960年に文化勲章受賞、1963年に毎日出版文化賞を受賞、多くの随筆を著した世界的大数学者です。
【春宵十話/岡潔/1963年/光文社文庫】
p.15〜16「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。
人には交感神経系統と
副交感神経系統とあり、
正常な状態では両方が平衡を保っているが、
交感神経系統が主に働いているときは、数学の研究でいえば
じわじわと少しずつある目標に詰めよっているときで、気分からいうと内臓が板にはりつけられているみたいで、
胃腸の動きはおさえられている。
副交感神経系統が主に働いているときは調子に乗ってどんどん書き進むことができる。
そのかわり、胃腸の動きが早すぎて下痢をする。
最近、ある米国の医学者が犬を使って交感神経系統を切断する実験をやったが、結果は予期したとおり下痢を起こし、大腸に潰瘍ができた。
人でも犬でも、根本の生理は変わらない。
感情に不調和が起こると下痢をするというが、本当は情緒の中心が実在し、それが身体全体の中心になっているのではないか。
その場所はこめかみの奥の方で、大脳皮質から離れた頭のまん中にある。
ここからなら両方の神経系統が支配できると考えられる。
情緒の中心だけでなく、人そのものの中心がまさしくここにあるといってよいだろう。
そうなれば、情緒の中心が発育を支配するのではないか、とりわけ情緒を養う教育は何より大事に考えねばならないのではないか、と思われる。
単に情操教育が大切だとかいったことではなく、きょうの情緒があすの頭を作るという意味で大切になる。
情緒の中心が実在することがわかると、
劣等生というのはこの中心がうまくいってない者のことだから、ちょっとした気の持ちよう、
教師の側からいえば気の持たせ方が大切だということがわかる。
また、学問はアビリティーとか小手先とかでできるものではないこともわかるだろう。」
【春の草〜私の生い立ち〜/岡潔/1966年/日経ビジネス人文庫】
p.38〜p.39「人の子は、通常生後八ヶ月ぐらいになると、ひどく変わった目の色をします。
なんだか非常に遠いところをみて、なにかを思い出そうとしているようでもあれば、
またひどく懐かしそうでもある。
また一年6ヶ月ぐらいになると、数学の自然数の「一」がわかる時期が来る。
一即一切、一切一即といい慣わされている「妙観察智(みょうかんさっち)」が備わる。
そうすると、それまで「ホタホタ」しか笑えなかったのが「ニコニコ」笑えるようになってくる。
この時期は非常に大切で、その少し前から準備を始めなければなりません。準備には全身運動をします。私の男の孫の場合は、「お手々ぶらぶら」とか「焼き芋ごろごろ」とかいろいろやりました。
大切なのは「一時に一事」ということ、つまり一時に一つのことしか絶対にしないということです。しかし、こんなことを始めなければならないのですから、生後八ヶ月に始まると思われる"懐かしさの季節"はそう長くは続かないわけです。
いまの人は、人は死ねばそれまでと思っているが、
明治以前の日本人は、人は死んでもそれまでなどとは決して思えなかったらしい。
あの"懐かしさの季節"のなかで
過去世の非常に深い印象の色どりをいろいろ思い出しているのではないでしょうか。」
40年以上も前に書かれた随筆ですが
いまもなお普遍的なメッセージを私たちに投げかけてくださっています。
今日気になったところを抜粋させていただきましたが、
どのページにも深い真理のようなものが、情緒とともにただよっている本です。
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