スクールカウンセラー
昨日のニュースでは
館中学校の校舎入り口に献花台が設置されたとのことでした。
亡くなった去年の9月から、一年。
私は、ふと、館中学校のスクールカウンセラーさんは
この件に関してどのような係わりをもったのか気になりました。
精神医療に繋いだのか、
だとすればどんな薬が出されたのか、
気になります。(死にたくなる気持ちが止まらない副作用が出る薬もある)
写真は、松谷みよ子さんの詩集「止まり木をください」。
あとがきをメモいたします。
…………………………………………………………………………
あとがき
だれでもきっと、心の奥に沼を持っているだろうと思います。
澄んだ、清洌(せいれつ)な水を湛えた沼でありたいとは思いますが、
私の沼はそんな美しいものではなくて、のぞきこむだけで病んでしまうような沼でした。
沼のふちに咲く花について、たった五枚ほどの随筆を書こうとしたことがあります。
それが書けません。
からだが拒絶してしまうのです。
病むのです。
忘れていた沼を見てしまったからでした。
なのに、ある日突然、沼の水は煮えたぎり、あふれだし、
この詩になりました。
ですから、書いてしまったあとで、自分でもおどろいたのです。
きっかけは、少年だったか、少女だったか、それもさだかではないのですが、
あるひとりの子が、いじめによる死を選んだことでした。
そうした報道は今までにも、たくさんありましたのに、
ある日、突然、としかいいようのない激しさで、沼の水はゆれだしたのです。
気がついたとき、この詩を書いていました。
指は勝手に動いて文字をつくりだしていました。
ですから私は、これが、詩と呼べるものなのかよくわからないのです。
いままでも、詩、らしきものは書いていました。
詩集を出しませんか、といってくださる社もありました。
いつも二の足をふんでいました。
それなのに、どういうわけか、この詩を本にしたい、と思いました。
たくさんの人が、さまざまなかたちで、いじめを分析し、理論化し、
あるいは作品のなかで解決しています。
私にはそんな力は、まったくありません。
私にできることは、いっしょに泣くことしかなかったのかもしれません。
そして、見たところひどくのんきそうな私にも、
かつてこのような思いがあったことを伝えたくなった……のです。
そこを通りこしてほしいと伝えたくなったのです。
もう一つ、人間の悲しさは、だれでもが加害者になり得るということ。
自分の心の、やむにやまれぬなにかで、加害者になることもあります。
教育の名のもとに、人間が人間の息の根をとめることもあります。
存在そのものが、すでに加害者であることもあります。
そそのかされて、あるいは、見て見ぬふりをすること。———それも加害者でありましょう。
はっきりしているのは、加害者は、決してそのあたりに気がつかないこと。
いや、気づこうとしないこと。
ついたとしても、痛みの深さがまったくちがうこと。
もし、投げ込まれた石によってのたうつカエルの一匹が、叫んだら、そのひとたちの心に、小さな穴がプツンとあきはしないだろうか。
心の扉が、開いてはくれないだろうか。
書いてしまった詩を、みつめながら、そんなことも思いました。
(中略)
1987年5月8日 松谷みよ子
…………………………………………………………………………
以前、高田郁さんのエッセイに、女性の体育教師からの嫌がらせ、それからはじまった男子からの暴力、いじめにあい、
骨折と内臓損傷で入院したにもかかわらず、学校が「事故」として処理されたことを書かれていました。
http://monstlou.blogspot.jp/2014/07/blog-post_24.html
田中幸子さんの記事【幸せになりたければ精神薬を飲まないこと】http://ken0314.blog.fc2.com/blog-entry-1330.html
「小学校でスクールカウンセラーに話をすると、
2、3回のセッションで、即、
児童精神学を学んだという精神科医につなぐ。
中学も高校も同じ。
体験した親子の相談を何度も受けた。
拒否すると担任、主任に呼ばれる。」
内海聡さんのFBより→https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/506328519450906
フリーライターかこさんのブログより【その生徒、本当に精神疾患ですか?】http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11136495664.html
【精神医療被害連絡会/やたがらす/凄まじい人権侵害】http://ameblo.jp/sting-n/entry-12026143449.html
スクールカウンセラーさんの
おそらく男の子が亡くなってまだ2ヶ月くらいのときに発行されたカウンセリング通信。
http://www.sendai-c.ed.jp/~yakatajt/page2014/1125kaunnserinngu.pdf
これからの子どもたちを守るために
同じことを繰り返さないために。
男の子の尊い命を忘れることのないように。
考えよう。考えよう。考えよう。違和感を感じよう。声に出そう。つながろう。
明日は仙台市のアエルを会場に、
精神医療被害連絡会代表を迎え、オルタナティブ協議会みやぎさんによるサードオピニオン会対話会があります。
ぜひお出かけください。
http://altmiyagi.jimdo.com/
もしお子さんがショックや悲しみで動けないときは、どうぞ焦らず休んでください。寄り添ってください。
薬ではなく、自然療法や信頼出来るセラピストやカウンセラーに出会えますように。
我が家だったら、イグネシアのレメディなど。またはバッチフラワーエッセンスのレスキューも。
ひきずって辛そうな時はJPHMA認定の方に健康相談とQX-SCIOでエネルギーを整えてもらいます。
みなさんに合う何かが見つかりますように。抑圧ではなく、光に満ちた健康な方向への良い療法に出会えますように。
館中学校の校舎入り口に献花台が設置されたとのことでした。
亡くなった去年の9月から、一年。
私は、ふと、館中学校のスクールカウンセラーさんは
この件に関してどのような係わりをもったのか気になりました。
精神医療に繋いだのか、
だとすればどんな薬が出されたのか、
気になります。(死にたくなる気持ちが止まらない副作用が出る薬もある)
写真は、松谷みよ子さんの詩集「止まり木をください」。
あとがきをメモいたします。
…………………………………………………………………………
あとがき
だれでもきっと、心の奥に沼を持っているだろうと思います。
澄んだ、清洌(せいれつ)な水を湛えた沼でありたいとは思いますが、
私の沼はそんな美しいものではなくて、のぞきこむだけで病んでしまうような沼でした。
沼のふちに咲く花について、たった五枚ほどの随筆を書こうとしたことがあります。
それが書けません。
からだが拒絶してしまうのです。
病むのです。
忘れていた沼を見てしまったからでした。
なのに、ある日突然、沼の水は煮えたぎり、あふれだし、
この詩になりました。
ですから、書いてしまったあとで、自分でもおどろいたのです。
きっかけは、少年だったか、少女だったか、それもさだかではないのですが、
あるひとりの子が、いじめによる死を選んだことでした。
そうした報道は今までにも、たくさんありましたのに、
ある日、突然、としかいいようのない激しさで、沼の水はゆれだしたのです。
気がついたとき、この詩を書いていました。
指は勝手に動いて文字をつくりだしていました。
ですから私は、これが、詩と呼べるものなのかよくわからないのです。
いままでも、詩、らしきものは書いていました。
詩集を出しませんか、といってくださる社もありました。
いつも二の足をふんでいました。
それなのに、どういうわけか、この詩を本にしたい、と思いました。
たくさんの人が、さまざまなかたちで、いじめを分析し、理論化し、
あるいは作品のなかで解決しています。
私にはそんな力は、まったくありません。
私にできることは、いっしょに泣くことしかなかったのかもしれません。
そして、見たところひどくのんきそうな私にも、
かつてこのような思いがあったことを伝えたくなった……のです。
そこを通りこしてほしいと伝えたくなったのです。
もう一つ、人間の悲しさは、だれでもが加害者になり得るということ。
自分の心の、やむにやまれぬなにかで、加害者になることもあります。
教育の名のもとに、人間が人間の息の根をとめることもあります。
存在そのものが、すでに加害者であることもあります。
そそのかされて、あるいは、見て見ぬふりをすること。———それも加害者でありましょう。
はっきりしているのは、加害者は、決してそのあたりに気がつかないこと。
いや、気づこうとしないこと。
ついたとしても、痛みの深さがまったくちがうこと。
もし、投げ込まれた石によってのたうつカエルの一匹が、叫んだら、そのひとたちの心に、小さな穴がプツンとあきはしないだろうか。
心の扉が、開いてはくれないだろうか。
書いてしまった詩を、みつめながら、そんなことも思いました。
(中略)
1987年5月8日 松谷みよ子
…………………………………………………………………………
以前、高田郁さんのエッセイに、女性の体育教師からの嫌がらせ、それからはじまった男子からの暴力、いじめにあい、
骨折と内臓損傷で入院したにもかかわらず、学校が「事故」として処理されたことを書かれていました。
http://monstlou.blogspot.jp/2014/07/blog-post_24.html
田中幸子さんの記事【幸せになりたければ精神薬を飲まないこと】http://ken0314.blog.fc2.com/blog-entry-1330.html
「小学校でスクールカウンセラーに話をすると、
2、3回のセッションで、即、
児童精神学を学んだという精神科医につなぐ。
中学も高校も同じ。
体験した親子の相談を何度も受けた。
拒否すると担任、主任に呼ばれる。」
内海聡さんのFBより→https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/506328519450906
フリーライターかこさんのブログより【その生徒、本当に精神疾患ですか?】http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11136495664.html
【精神医療被害連絡会/やたがらす/凄まじい人権侵害】http://ameblo.jp/sting-n/entry-12026143449.html
スクールカウンセラーさんの
おそらく男の子が亡くなってまだ2ヶ月くらいのときに発行されたカウンセリング通信。
http://www.sendai-c.ed.jp/~yakatajt/page2014/1125kaunnserinngu.pdf
これからの子どもたちを守るために
同じことを繰り返さないために。
男の子の尊い命を忘れることのないように。
考えよう。考えよう。考えよう。違和感を感じよう。声に出そう。つながろう。
明日は仙台市のアエルを会場に、
精神医療被害連絡会代表を迎え、オルタナティブ協議会みやぎさんによるサードオピニオン会対話会があります。
ぜひお出かけください。
http://altmiyagi.jimdo.com/
もしお子さんがショックや悲しみで動けないときは、どうぞ焦らず休んでください。寄り添ってください。
薬ではなく、自然療法や信頼出来るセラピストやカウンセラーに出会えますように。
我が家だったら、イグネシアのレメディなど。またはバッチフラワーエッセンスのレスキューも。
ひきずって辛そうな時はJPHMA認定の方に健康相談とQX-SCIOでエネルギーを整えてもらいます。
みなさんに合う何かが見つかりますように。抑圧ではなく、光に満ちた健康な方向への良い療法に出会えますように。
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