カフェモンサンルー

2016/05/07

他の人びとをエネルギーで満たす

社会学修士と、カウンセリングの教育学修士を修了したのち、
感情障害を持つ青少年のセラピストとして働き、冒険小説「聖なる予言」を書かれたジェームズレッドフィールドさんが、
その冒険小説で伝えきれなかったところをノンフィクションで書かれた本「聖なるビジョン」から抜粋させていただきます。

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しかし、人と共時的な出会いをしたことに気づいても、
すぐに必要なメッセージが表面に現れてこない時、というよりはむしろ、
メッセージが恐怖やコントロールドラマによって妨げられているとき、
どうすればいいのだろうか。
まず、第一に、自分の内へと入ってゆき、愛、軽やかさ、まわりとの一体感に焦点をあてて、
自分のエネルギーレベルをあげる努力をすべきである。
この高いエネルギーの状態から、私達は新鮮な目で話し相手をみることができるようになる。
すでに述べたように、コントロールドラマに遭遇した時は、その人に完全に意識を向けて、愛のエネルギーを送らなければならない。
実はそれは、その人の大いなる自己に霊的なエネルギーを送っているのである。
それによって、彼はコントロールドラマからくる頑な思い込みを少し、柔らげることができるようになるのだ。
(中略)
しかし、どのように、これを行えばいいのだろうか?
人に対して、この新しい方法をどう応用するのだろうか?
人の顔を見つめるとき、いったい、どこに焦点をあてるべきなのだろうか?
もちろん、その答えは、心を完全に開き、相手の顔全体に焦点をあてるということである。
話をしている相手をじっと見つめていると、
その人の大いなる自己が見え始める。
その人のより大きな意識と知恵を反映するある種の表情がそれである。
このことは様々な宗教で、相手の顔に栄光やキリスト、天才を見るといった形で表現されている。
どのように表現するとしても、相手の大いなる自己、つまりすべてを知る存在に向かって愛を送りながら話しかけると、
その人は大いなる自己の意識レベルに達するのだ。
これが、他人をエネルギーで満たし、その意識状態を高めるプロセスである。
今、私達はこのプロセスを意識的に行うことができる。
何千年も前から、互いに愛し合うことが大切であり、そうすれば、人が変わり得るということを私達は知っていた。
そして今、私達は愛の送り方を実際に学び、生活に生かしつつあるのだ。
人を愛するということは、感じ良く振る舞うことではない。
人の愛し方にはきちんとした心理的方式があり、
特別の意志と集中力をもってそれを行わなければならない。
しかも、このプロセスは完全に利己的なものである。
なぜならば、このやり方を実行すると必ず、自分が与えた以上のものを、その出会いから得るからである。
相手の意識を高める努力をすると、彼らは大いなる自己の知恵と目的意識に近づいてゆく。
そして、仕事や計画などの話題を持ち出して、私達がまさに待ち望んでいた共時的なメッセージを、伝えてくれるのだ。
もう1つの利点は、私達自身のエネルギーレベルが上がるということである。
相手に愛のエネルギーを送るとき、私達は神の源で発したエネルギーの通路となっている。
水が一杯になって外へと溢れ出ているカップのようなものである。
自分が神から切り離されたと感じた時に、内なる神とのつながりを取り戻す一番の早道は、誰か他の人に愛のエネルギーを送って、その人の意識を高めることなのだ。
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以上、抜粋。

先日、とある場所が頭に浮かんだのでお休みの日に行こうかな、と考えていたら、マスターが
「○○のイメージが浮かぶんだけどさあ。」
と、私が頭に浮かんだある場所を言うので、一緒に出掛けることにしました。
到着して早々に、ある小さな事件がありました。
このために呼ばれたのだと思いました。
お詣りしたときに、いつもメッセージをいただく場所でこの事件の意味を教えてくださいとお願いいたしました。
すばやく返事をいただきました。

「人を助けるということは、このように大変なこと。」

それと同時に、さまざま理解しました。
事件の最中、途中までエネルギーが高められたように感じたのに、
私が役に立てばいいなと思って資料などを渡すと、相手が怒りだし、エネルギーがガンと下がるのでした。
よかれと思って、がエゴだったのだと思います。
相手の「支配されるのではないか」という恐怖と、さらに本当は私が責任をもってその場でエネルギーを高める努力をしなくてはならなかったのに、資料などの情報に責任を押し付けて逃げた無責任なように感じとられたのかもしれないと理解しました。私が寄り添えていなかったということでした。
なるほどなあ、ああ、だめだ。
かなり落ち込みました。
もう知らない人を助けるのは止めよう、と落ち込みながら引いた御神籤は、
「大吉」で、「(それでも)できるだけ他人の世話をするように」と書いてありなぐさめられました。
しかし、時間がたつにつれて、悲しくて悲しくてたまらなくなりました。
感情をもらってしまったのだと思い、ラカシスをとりましたがヒットしません。
悲しい気持ちを深く感じてゆくと、ネイチュミュアの方が合うような気がして飲みましたら、
悲しい気持ちがサーっとひいてゆきました。
彼女は、自分が可哀想で、悲しくて、それが怒りやイライラになっていたのかもしれないと思いました。
そして、今日あった出来事を、
ホオポノポノでクリーニングしました。(渦中にいるときはクリーニングに対して嫌悪感が起きるのに、レメディなどで落ち着いたら大丈夫でした)
ジャッジしない、自分が助かりたいための人助けはしない、相手を信頼して待つ、心して......。

長いメモにお付き合いいただきありがとうございました。

連休で、家族と向き合ったり、子どもたちと触れ合うことで、
思いもよらないインナーチャイルドが顔を出し、イライラしたり悲しくなったり、
不機嫌になることがあるかもしれませんね。
感情が乱れたときは、心の奥底に隠れているインナーチャイルドを見つけて仲直りするチャンスです。その感情の根っこをたぐってみましょうか。
よいきっかけになりますように。

お読みいただきましてありがとうございます。
心より感謝をこめまして。

追記:ちょうど小倉謙さんのブログによいことが書いてありましたのでメモさせていただきます。
【「万人を分け隔てなく助ける」これは理想です】http://yuzuru-academy.hatenablog.com/entries/2016/05/06

もし、ママさんがメンタルに作用する薬を飲んでから、激昂などイライラやキレやすいときは、薬が合わないのかもしれません。
メモ→ http://blogs.yahoo.co.jp/tffxq722/55229756.html
薬を長く飲んでいる方は急に止めると禁断症状や離脱症状があるかもしれないので、急には止めない方がよいらしいです。
そういったことに理解のあるサポートしてくれる先生に、出会えますように。
参考になります。→ http://alcoholdrug.yuzu.bz/dependence-prescribed-drug.pdf
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