
以下、抜粋
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あなたがいちばんむかつくのは、
腹立たしいのは、相手のどんなところだろう。
自己中心的なところか?強欲さか?
権力欲、支配欲か?言行不一致なところか、不誠実さか、暴力的傾向か。
さて何だろう?
何にしても、あなたがいちばん恨みがましく感じて強く反応する資質は、
あなた自身のなかにもある。
だがそれはエゴの一つの形であって、個人的なものではない。
相手の人間ともあなたという人間とも、関係ないのだ。
ただその資質と自分を同一化してしまうと、それを自分のなかに発見したとき、
自己意識が脅かされたと感じるだろう。
【闘いは心の癖】
他人に傷つけられそうになって自分や誰かを守る必要がある場合もあるが、
「悪を退治する」のが自分の使命だと考えないように気をつけたほうがいい。
そんなふうに考えると、自分も闘う相手と同じことになってしまう。
無意識のままで闘うと、あなた自身が無意識に引っ張りこまれてしまう。
無意識、つまり機能不全のエゴイスティックな行動は、
闘っても退治できない。
たとえ相手を打ち負かしても、その無意識は単にあなたのなかへ移行するか、
新しい姿で現れるだけだ。
何を相手に闘っても、闘えば相手はますます強くなるし、
あなたが抵抗するものはしつこく存在し続ける。
(中略)
闘いは心の癖で、そういう癖から生じる行動はすべて、
悪と想定される敵をかえって強くするし、
たとえ闘いに勝っても打ち負かした敵と同じような、
それどころかもっと手ごわい新しい敵、新しい悪を生み出す。
あなたの意識の状態と外部的現実とのあいだには、
深い相関関係がある。
あなたが「闘い」という心の癖に囚われていると、
あなたの知覚はきわめて選り好みの強いものとなって歪められる。
言い換えれば見たいものしか見ず、しかもそれを曲解する。
そんな妄想のシステムからどんな行動が生じるかは、簡単に想像がつくだろう。
想像がつかなければ、今夜のテレビニュースをごらんになるといい。
エゴをありのままに人間の心の集団的な機能不全として認識すること。ありのままを認識すれば、もうそれを誰かのアイデンティティーだと誤解したりはしない。
また、エゴに反応しないでいることも容易になる。
個人的に受け止めることもない。
不満を抱いたり、非難したり、なじったり、お前が悪いと決めつけもしなくなる。
誰も悪くはない。それは誰かのなかのエゴ、それだけのことだ。
人によっては症状が重いかもしれないが、誰もが同じ心の病に苦しんでいるとわかれば、共感をもてるし、やさしくなれる。
すべてのエゴイスティックな関係につきものの波乱の火に油を注ぐこともない。
油とは何か?
反応だ。
エゴは反応を糧にして肥え太る。
【平和と波乱、どちらを望むか?】
あなたは平和を望むだろう。
平和を望まない者はいない。
だが、あなたの中には波乱を、紛争を望む何者かがいることも事実だ。
いまこの瞬間には、その何者かの存在を感じないかもしれない。
だが何らかの状況が(それどころか、ただの思考が)
あなたの反応の引き金を引いたらどうか。
誰かがあなたを非難した、あなたを認めなかった、あなたのテリトリーに侵入した、あなたのやり方をあげつらった、金品をめぐって言い争いになった……
そのときあなたは自分のなかで、何か大きな力が、
たぶん怒りや敵意の仮面をつけた恐怖が盛り上がってくるのに気づけるか?
声が荒々しく、あるいは甲高くなったり、何オクターブか低い大声になったと自覚できるか?
心があわてて自分の立場を防御し、正当化し、攻撃し、相手を非難しようとするのがわかるか?
言い換えれば、
無意識が発動した瞬間にその事実に気づけるだろうか?
自分のなかに戦闘体勢の何者かがいること、
脅かされたと感じて、どんな犠牲を払ってでも生き延びようと望む者、
波乱のドラマにおける勝利者として自分のアイデンティティーを確認するために劇的状況を必要とする者がいることを感じ取れるだろうか?
平和よりも自分が正しいほうがいいと言う何者かが、
あなたのなかにいることを感じられるだろうか?
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(ニュー・アース/エックハルト・トール/吉田利子:訳/サンマーク出版)より
クリスマス、年末年始、インナーチャイルドやウニヒピリやシャドーが騒ぐ季節です。
静かに観察してみよう。
感情的になっている自分を、冷静に、まるでドラマか映画を見ているかのように
俯瞰して眺めてみよう。
シナリオを書く脚本家、監督、俳優としての自分は、
このドラマに何を期待しているのだろうかと。
ながく生きていると、心も固くなり、
自分だけでは気づくのが大変なこともあります。
(自分に気づかせるためのドラマなのに、自分が気づくのが難しいなんて、ややこしいですなぁ……)
自立をうながし、大変なときは伴走してくれるような良心的なカウンセラーさんや療法士さんに出会えるといいですね。
肩書きではなく、ときには近所の小さい子どもがヒントをくれることもあるし、
「いまここ」が得意な動物や小鳥に学ぶ日もあるし、
本屋さんで偶然見つけた本にヒントがあることもあるし、
ユーミンの歌詞にあるように
「目に見えるすべてのものはメッセージ」なのでしょうね。
日々是精進。
あせることなく、すこしずつ。でも、悠々として急げ!
自ら光を放ちながら。